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横浜地方裁判所川崎支部 昭和51年(ワ)216号 判決 1985年9月26日

原告 坂田茂 外二名

被告 日本鋼管株式会社

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨(原告ら)

1  被告会社は、原告坂田茂に対し一五、九一六、〇〇〇円、同高野保太郎に対し一五、九六一、〇〇〇円、同菅野勝之に対し一五、七一〇、〇〇〇円および右各金員に対する、昭和五一年七月一六日から支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁(被告会社)

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因(原告ら)

1  当事者

被告会社は肩書地に本店、川崎市及び横浜市に京浜製鉄所、福山市に福山製鉄所、その他の製鉄所、造船所を設け、国内各地及び海外に営業所、事業所を有し、現在の従業員約四万二〇〇〇名、資本金一四六一億円余をもつて、鉄鋼、船舶、肥料等の製造販売を営む企業である。

原告坂田茂(以下「原告坂田」という。)は昭和二四年六月一四日、原告高野保太郎(以下「原告高野」という。)は昭和二三年八月一七日、原告菅野勝之(以下「原告菅野」という。)は昭和二六年四月二日、それぞれ被告会社に工員として雇われ、後記解雇当時川崎製鉄所(現京浜製鉄所)に勤務していた者である。

2  本件解雇の経過

(一) 原告らは、昭和三二年七月八日、原告らの所属する日本鋼管川崎製鉄所労働組合(以下「川鉄労組」という。)の指令に基づき、同組合員八名とともに、在日アメリカ合衆国空軍の使用する東京都北多摩郡砂川町所在の立川飛行場の拡張に反対し、同飛行場内の民有地の測量を阻止しようとする地元民、ならびにこれを支援した労働組合員、学生らの反対行動(いわゆる砂川闘争)に参加したが、右反対行動の際、同飛行場北側の立入禁止区域に四ないし五メートル立入つた(以下「砂川事件」という。)として、同年九月二二日、他二〇名とともに逮捕され、同年一〇月二日他四名とともに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(以下「安保条約」という。)第三条に基づく、行政協定に伴う刑事特別法(以下「刑特法」という。)第二条違反として起訴された。

右刑特法違反被告事件は、第一審では安保条約に基づくアメリカ軍の駐留は違憲であるとして原告らは無罪とされ、その後最高裁判所は右判決を破棄差戻し、結局原告らは有罪となつたが、科刑は罰金二〇〇〇円と極めて軽微なものであつた。

(二) 被告会社は、昭和三三年二月二六日、原告らの行為が被告会社の体面を汚したとし、被告会社と組合との労働協約及び就業規則の懲戒規定に該当するとして、原告坂田、同高野に対し懲戒解雇、同菅野に対し諭旨解雇をした(以下一括して「本件解雇」ともいう。)。

原告らは右解雇を無効であるとして、東京地方裁判所に地位保全の仮処分申請を行い(以下、この申請に基づく仮処分事件を単に「仮処分」という。)、昭和三五年七月二九日右仮処分の判決がなされ、原告高野、原告菅野について勝訴したが、原告坂田については仮処分の必要性がないとして敗訴し(昭和三三年(ヨ)第四〇二二号)、これに対し、原告らいずれについても控訴がなされ、昭和三九年三月二七日原告ら三名とも従業員としての地位を定める旨の判決がなされた(東京高等裁判所、昭和三五年(ネ)第一七八八号)。

ところが右仮処分判決にもかかわらず、被告会社は、原告らを従業員として取扱わず、仮処分控訴審で敗訴した後は起訴命令の申立をなし、あくまでも抗争をつづけた。そこで原告らは、昭和三九年七月二〇日東京地方裁判所に雇用契約存在確認請求の訴(以下、この訴に基づく訴訟事件を単に「本案」という。)をおこし、右本案についても昭和四二年一〇月一三日東京地方裁判所民事第一一部判決(昭和三九年(ワ)第六七五二号事件)、昭和四五年七月一八日東京高等裁判所第一〇民事部判決(昭和四二年(ネ)第二三五〇号事件)、昭和四九年三月一五日最高裁判所第三小法廷判決(昭和四五年(オ)第九八二号)でそれぞれ勝訴し、原告らの被告会社に対する雇用契約に基づく権利の存在を確認する旨の判決が確定した。

(三) 右本案上告審判決後、日本鋼管京浜製鉄所労働組合(以下「京浜労組」または、川鉄労組と一括して「組合」ともいう。)の被告会社に対する交渉を経て、昭和五〇年二月に至り、漸く原告らは職場に復帰した。

3  不法行為

(一) 原告らは、被告会社の労働者として、被告会社に瑕疵のない身分上の取り扱いを要求し得る権利ないし法律上の利益を有するところ、本件解雇は、結局において、無効と判断された訳であるが、被告会社は、本件解雇から復職まで一七年間にわたつて抗争を続け、原告らを従業員として取扱わず、職場から排除した。

(二) 損害

(1) 本件解雇のとき、原告坂田は二八歳、同高野は三二歳、同菅野は二五歳であつたが、昭和五〇年二月復職が認められたときには原告坂田四五歳、同高野四九歳、同菅野四二歳となつており、原告らは、人間として最も楽しく充実した活動のできる時期を一七年間にわたり職場から排除され、次のとおり、物心両面にわたる全人格的な苦痛を蒙つた(なお、原告らは、以下のうち、経済的損害も含めて慰謝料として請求するものである。)。

(i) 労働できないことの苦痛

<1> 人間は労働するところにその存立の基礎と発展があるのであつて、原告らにかぎらず、鉄鋼労働者には、自分の労働に誇りを持ち、生がいを感じている者が多い。このような原告らが一七年間にわたり労働することができなかつたのは、それ自体が大きな苦痛である。

<2> 一七年間も就労させられなかつたことにより、原告らは肉体が衰えただけでなく、技術進歩からもとり残され、労働者として使いものにならなくさせられた。

イ 原告坂田は、機械設備の保全工であり、職場復帰によりコークス化工職場に戻つたが、同職場は化学工場であるから技術の進歩と設備の更新が激しく、設備自体がすつかり変つてしまつていて原告坂田は何から手をつけていいのかわからなかつた。また、三交代勤務は肉体的に馴れるのが大変だつた。更に、原告坂田の六、七年後輩で養成工当時から原告坂田が使つていた労働者が工長となつて現場を指揮しており、原告坂田が一番下の新参者としてお茶くみ、油の後片付などをやろうとすると、職場の同僚たちは、「それだけはやめてくれ」と、かえつて気を使う状態であつた。

ロ 原告高野は、製鋼工場で本件解雇通告を受けるまでの約一〇年間高熱、重筋の三交替労働をやつてきたが、一七年ぶりに職場に帰つた時にはすつかり体がなまつて人並の仕事ができなくなつており、例えば、幅二センチ厚さ一ミリ程の鉄板を両手で「はさみ」を使つて切る仕事を、二〇年あるいはそれ以上勤続している五〇才前後の同僚たちは簡単にやつているのに、原告高野は腕力がすでになくなつていて、どうにも、これが切れず、以前の仕事が人並にできない体になつてしまつていることを思い知らされた。

ハ 原告菅野は、化学分析の仕事であるから技術的な遅れが著しく、職場復帰数か月前から高校の化学の教科書を買い求めて勉強し、更に職場に戻つてからも、職場の者にこの程度の本は読んでいなければと言われて、技術研究所図書館の分析に関する本を読むなど、大いに勉強しなければならなかつた。

また、資格上級試験を受けるには、機器分析、湿式分析や安全教育等の何級かを修得していなければならないが、職場にいる者は何年もかかつて会社からこれらの教育を受けて、その終了証を取得しており、例えば原告菅野と同じく昭和二六年熱管理課分析係に入つた者は現在主事になり技術員試験を受けて技術員になつており、また、元の熱管理課である環境管理課では、かつて熱管理分析係の同業務をやつていた後輩が技能員の役付になつているが、原告菅野は、一七年間の解雇期間中、前記教育の機会を奪われていたため、現在社員一級技能員であり、役付を含め、資格上級への道を完全に閉ざされている。

(ii) 職場を基礎とした活動の困難

本件解雇は、単に職場で原告らが仲間と接触できなくなるというだけでなく、職場外で仲間が、原告らに近付くことをも妨害した。即ち、解雇され、被告会社と争つている原告らに近付いたら被告会社からにらまれるのではないかという意識を多くの労働者が持つており、現に原告らと一緒に活動したり、協力している労働者に対して、被告会社は賃金、一時金、昇格、仕事などで明らかな差別をしたため、原告らに同情し、支援してくれる労働者も被告会社の目をおそれて、原告らに近付いたり、協力したりすることができず、日常的な付き合いや話をすることさえ恐れたのである。

そのため、原告らは解雇され、職場から排除されたことにより、一緒に働き、交際してきた多くの仲間から切り離され、人間としての最少限の願望である共に働き、共に語りあう仲間を失つた。

また、原告坂田は本件解雇当時組合の執行委員であり、その余の原告らも若手の中心的活動家であつて、いずれも職場の仲間の信頼を得て組合活動、平和運動、青年運動、共産党の活動、その他の民主的活動の中心となつてきたのであるが、今日の企業内組合において、組合の活動家は職場の仲間と一緒に働き、話し合い、遊ぶなかで、信頼を得、これにより役員に選ばれ、組合活動を行つているものであるところ、原告らは、職場の仲間から切り離されることによつて右活動の基盤を奪われ、活動に甚大な支障をきたした。

(iii) 家庭生活等での苦痛

<1> 原告坂田について

イ 原告坂田は、解雇され、職場から排除されている立場を住居の近隣の人々になかなか理解してもらえず、このような人々との間に話のできる関係を作り、立場を説明して理解を得られるまでには時間がかかり、その労苦も大きかつた。

ロ 原告坂田の妻は埼玉県の農家の娘であつたが、保守的な農村では共産党員であり労働組合役員である原告坂田の立場はなかなか理解されないため原告坂田は毎年祭りには妻の実家に行き、できるだけ打ち解けた話をして理解してもらうよう努力していたが、砂川事件の逮捕と本件解雇は原告坂田の家族と妻の実家との間を引き裂いてしまつた。

ハ 原告坂田は、被告会社から社宅を引き払うよう申し渡されたため、貸家を探すこととなつたが、家族七人が住める貸家がそう簡単にある訳がなく、また、年とつた原告坂田の母は知り合いの出来た社宅からそう遠くない所に住みたいという希望を持つていたため、家族全部で家探しに苦労した。そして、漸く新城の社宅のすぐそばの勝美荘というアパートに、原告坂田の母と妹、弟四人が住み、これも新城の社宅の裏にあたるアパートに原告坂田と妻と長女とが住むことになつた。原告坂田が苦労した母親と離れて住むのは原告坂田が結婚した当初の数か月を除いてそれまではなく、ここから母との別居生活が始まつたのである。それでもまだ新城の近くにいたので何時でも気軽に往き来ができたが、その後、原告坂田に長男が生まれたため、陽当りが悪く、昼間でも部屋の中にうじ虫が歩き出すという右アパートでは暮らせなくなり、陽当りが良く、しかも家賃の安いところを探して、結局、高津の溝の口から歩いて一五分位の山の上の末長のアパート富士見荘に住まいを移した。こうして親子兄弟の別居がしいられ、また簡単に会える状況でもなくなつてしまつた。また、右別居により、原告坂田の母が原告坂田の子供の面倒を見ることが出来なくなり、そのため、原告坂田の妻は勤め先の丸善を退社せざるを得なかつた。

原告坂田に対する本件解雇は、親子の別居、原告坂田の妻の退社と家族の生活をめちやくちやに壊し、また、親と別世帯になつたことから支出も増大し、しかも家賃が社宅と比較して高く、支出が増大して、生活は極めて苦しくなつた。

<2> 原告高野について

本件解雇を知つて、一番おどろいたのは田舎(山形)にいる原告高野の妻の実父だつた。早速原告高野あてに「会社に謝罪して解雇を撤回してもらえないか」とか、「潔よく刑に服して反省しろ」などとしながらも子供たちを心配する親心のこもつた手紙が届いたため、原告高野は、六〇歳をこえた田舎の父親が子供たちを心配しながら肩身のせまい思いをしていることを知り、急いで原告高野らの行動は農民の土地と平和を守るための正義の行動で、間違つているのは被告会社や検察側だから最後まで闘い必ず勝利したい、こういう息子たちをもつた親として誇りをもつて胸を張つて村を歩いてほしいという手紙を書いたが、それ以後父親からの音信はなかつた。

<3> 原告菅野について

イ 解雇された昭和三三年当時、原告菅野は、鶴見に父母、妹らと住んでいたが、砂川事件で逮捕され、その後の解雇と続いて父母の心痛はひとかたならぬものがあつた。加えて、そのころたまたま近所で若い女性の強姦殺人事件が発生したのであるが、原告菅野が砂川事件で逮捕され、ついで解雇されたということで、近隣では原告菅野が強姦殺人の犯人だという風評がたち、原告菅野の父母や妹たちは別の事件で逮捕され解雇されたのだと説明して廻るわけにもいかず、いたたまれない気持で、まつたく外にでられないような状態となり、近所の人と顔を合せたくないと引越しを希望したため、原告菅野は毎日、夜、安い家を探し続け、昭和三四年一〇月逃げるように現住所に引越した。原告菅野は三男とは言え、長兄は彼が五才のとき死亡し、次兄は戸籍分離をしており、実際にこの年老いた両親と生活を共にし責任を負わなければならない立場にあり、それだけに自らにかけられた攻撃には、正当性を主張し平然としていられたが、両親の苦しみを見ることは心が千々にさかれる思いであつた。

ロ 原告菅野は昭和三六年五月妻美代子と結婚した。美代子は母と早くして死別しており父親は年老いて青森から結婚式に出席できなかつたため、大阪にいた美代子の姉が親替りで結婚式に出席したが、式も終りいよいよ新婚旅行に出発という直前、美代子は大阪の姉に別室に呼ばれ「砂川基地反対は戦争反対を心にひめ、具体的には農民の生活を守るものであり、人間が人間に奉仕する気持は認める。会社を解雇され、裁判で勝つて給料はもらつているというが、会社に行つていないと言うではないか、直ちに結婚を取りやめて、当分の間大阪で生活しなさい」と言われた。新婚当初から妻の苦悩する姿を見て、原告菅野は、この困難は二人の努力で解決しようと語り合い励ましあいながらも、会社に出勤しないことが原告菅野個人の責任によるものではないだけに、これを指摘される苦痛には図り知れないものがあつた。

(iv) 被解雇者の経済的不安

原告らには、賃金は保障されていたとはいえ、常に経済的不安がつきまとつた。

判決が近付くと、敗けた場合何をして生活を維持しようかと考えるが、正式な職にはつけないから、すぐに金になる仕事を探さねばならない。原告坂田はつねづね妻に「長距離トラツクでもやるか」とか、「焼きとり屋でもやるか」といつていたし、原告菅野はパン屋をしている友人に、判決が近くなるたびに「働かせてくれ」と話していた。また、原告高野も妻に「金が入らなくなつたら何かやれるようにしておけ」といつていたが、山形の農家の出で仕事をしたことのない妻は何もできないと不安がり、判決が近付くたびに深刻に考えていた。

また、原告らが一家の主として長期的な計画を立てようとしても、敗訴して生活がいつ破壊されるかも知れない不安から、月賦で物を買う事や借金をするなどということはできず、また、自分の家をもつ準備もできなかつた。

(v) 子供の教育への影響

原告らは、子供達が学校へいくようになると、まず先生に立場を理解してもらうため、父の仕事についての調査がくるたびに便箋に何枚も経過を書いて提出し、また、子供にも、成長につれて「解雇や裁判」の経過について説明して理解を求める努力をしなければならなかつた。何よりも気をつかつたのは、「解雇」「裁判」という不安を子供達に感じさせない努力であつた。

(vi) 賃金格差

仮処分判決により、原告らには一応の賃金は支払われていたが、右金額は、原告らが現実に勤務していれば得たであろう賃金、一時金などに比べ、明らかに低額であつた。

以上の原告らの物心両面にわたる被害苦痛を慰謝するものとして各自一五〇〇万円が相当である。

(2) 裁判費用

原告らは前記民事訴訟を遂行する費用として、昭和四五年六月四日、組合より、次の各金員を借り受け、昭和五〇年二月五日これを返済した。右費用は被告が不当に抗争を継続したため、出費を余儀なくされた裁判の費用である。

原告坂田 九一六、〇〇〇円

原告高野 九六一、〇〇〇円

原告菅野 七一〇、〇〇〇円

4  よつて、原告らは、被告会社に対し、不法行為による損害賠償として請求の趣旨記載の各金員と、これに対する本訴状送達の翌日(昭和五一年七月一六日)から支払ずみにいたるまで年五分の割合による遅延損害金との支払いを求める。

二  請求原因に対する認否(被告会社)

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)のうち、原告らが、昭和三二年七月八日、他の組合員らとともに、在日アメリカ合衆国空軍の使用する東京都北多摩郡砂川町所在の立川飛行場の拡張に反対するいわゆる砂川闘争に参加したこと、原告らが同飛行場北側の立入禁止区域に四ないし五メートル立入つたとして、同年九月二二日他二〇名とともに逮捕され、同年一〇月二日他四名とともに刑特法第二条違反として起訴されたこと、右事件につき第一審の東京地方裁判所が、安保条約に基づくアメリカ軍の駐留を違憲とし、原告らを無罪とする判決をしたこと、その後、最高裁判所が右判決を破棄差戻し、結局原告らの有罪(罰金二〇〇〇円)が確定したことは認め、その余は争う。

3  同2(二)のうち、昭和三三年二月二六日被告会社が、原告らの行動(これらに関する新聞報道を含む)は被告会社の体面を著しく汚したものであるとし、労働協約、就業規則を適用し、原告坂田、同高野に対し懲戒解雇、同菅野に対し諭旨解雇したこと、原告らが右解雇を無効であるとして、東京地方裁判所に地位保全の仮処分申請を行つたこと、昭和三五年七月二九日仮処分第一審判決がなされ、原告高野、同菅野についてはその申請が認容され、同坂田については仮処分の必要性がないとして却下されたこと、これに対し原告らいずれについても控訴がなされ、昭和三九年三月二七日東京高等裁判所が原告ら三名の申請を容れ、「雇用契約上の権利を有する地位を仮に定める」旨の判決をしたこと、被告会社が仮処分控訴審で敗訴した後、起訴命令の申立をしたこと、原告らが昭和三九年七月二〇日東京地方裁判所に雇用契約存在確認請求の訴(本案)をおこしたこと、右本案について、原告ら主張のような経過があり、判決が確定したことは認め、その余は争う。

4  同2(三)は認める。

5  同3(一)のうち、本件解雇が無効と裁判されたこと、右裁判が一七年にわたつたことは認めるが、その余は争う。

(一) 被侵害利益について

通常の労働契約にあつては、労働者は使用者の賃金請求権の他には何らの請求権も有しないものと解すべきところ、被告会社と原告らとの労働契約にも、被告会社と組合との労働協約にも特別の定めはなく、また、原告らの労務も特別の性質を有するものではないから、被告会社が原告らに対し解雇期間中の賃金を支払つた以上、原告らはそれに加えて就労請求権等の特別の請求権を有しない。

また、原告らは、被侵害利益として物質的権利がある旨主張する。

しかし、既述した雇用契約の性格に鑑み、原告らが被告会社に対し賃金請求権に加え、いかなる物質的権利を主張し得るのか極めて疑問である。のみならず、被告会社の求釈明に対する原告らの釈明により明らかにされたかぎりにおいて、原告らは被告会社が一七年の間従業員として扱わなかつたことを不法行為である旨主張するにほかならず、その他それぞれの物質上の権利に対する不法行為を主張するものでないことは明らかである。もしそうであれば、雇用契約に基づき権利として生じた賃金を被告会社が原告らに支払つている本件において、従業員として取扱わなかつた行為により物質的損害の発生する余地は全くないというべきである。

(二) 作為義務について

被告会社が原告らを従業員として取扱わなかつたことを不法行為とする点は、不作為による不法行為を主張するものであるが、不作為の違法性は作為義務が明確に存在する場合に限り認められるべきであり、これを雇用契約について言えば、使用者は雇用契約上の賃金支払義務のほかに、更に労働者を従業員として取扱うべき義務を負担するかどうか、若し負担するとすれば具体的にどのように従業員として取扱う義務を負担するかの作為義務が法的に明確でなければ、かかる取扱いをしなかつた不作為が違法であるとはいえないのである。しかし、民法六二三条は、雇用契約において使用者に対し賃金支払義務のほか何等かの法的義務を負担するという作為義務を課しておらず、また、原告ら主張によるも具体的にいかなる作為義務があるから被告会社の不作為が違法となるのか、その根拠について明らかではなく、したがつて、従業員として取扱わなかつたとの不作為について、作為義務違反の違法性は否定せざるを得ない。

仮に賃金請求権のほか、従業員として取扱うべき或いは就労させるべき作為義務が存在し得るとしても、それは確定された解雇の無効がこれらの作為義務を根拠づけるのであり、確定前の不確定な労働契約関係の中では、従業員として取扱うべき或いは就労させるべき法的な作為義務は具体化していないとみるべきである。したがつて、解雇の無効が確定するまでの間は、被告会社に作為義務違反の違法性は存在しないものと言わなくてはならない。

(三) 被告会社の行為の適法性

解雇は確定判決によつて無効とされない限り、仮に仮処分や、本案第一、二審判決があつたとしても未だ未確定な法律関係にあることはいうまでもなく、しかも、使用者としては、これらの判決に不服であればその解雇を有効として上級審にその取消しを求める権利を有することは憲法上認められるところであるから、明らかに理由のない解雇でない限り、使用者が訴訟を継続し、判決が確定するまでの間、労働者を就労させなかつたとしても不当とは言えず、その行為に違法性はない。

ところで、被告会社はいわゆる砂川事件における原告らの不名誉な行為ならびにその後の新聞等による報道により数々の迷惑を蒙つた。例えば、当時被告会社は世界銀行に対し借款供与の申入れをしていたが、その審査に当り、右事件を指摘され、その釈明に努めざるを得なかつたのをはじめとして、会社の輸出先、輸入先としてのアメリカ、欧州諸国、また国内の取引先さらには株主、同業他社等に対しその実態を説明するなど原告らの行動による悪影響を最少限に防止する努力を払わなければならなかつた。また、当時の社会情勢の下においては、原告らの行為を放置すれば、この種事件が続発する虞れがあり、被告会社にはこれを未然に防止する経営上の必要もあつた。

そこで、被告会社は、原告らの行為を労働協約三八条一一号、就業規則九七条一一号の「不名誉な行為をして会社の体面を著しく汚したとき」に該当するものとして、本件解雇をなしたものであつて、右は明らかに理由のない解雇とは言えず、被告会社が本件解雇の有効性を信じて訴訟を継続し、判決が確定するまでの間、原告らを従業員として取扱わなかつたことに不当性はなく、何ら違法性はない。

(四) 故意、過失について

加害行為の違法性の認識は、不法行為における故意の要件であつて、これを欠く場合には故意は成立せず、過失の問題となるが、過失には右違法性を認識すべきであるのに認識しなかつたことが必要であり、右認識すべき事情がない場合には過失も成立しないというべきである。

原告ら主張の加害行為の違法性は、本件解雇が無効であることを前提とするものであるところ、被告会社は、原告らには解雇事由があると信じていたのであるから、右加害行為についての違法性の認識はなく、故意は成立しない。

また、被告会社が原告らを解雇するについては、前記(三)に述べたような事由があり、前述のとおり、原告らは刑特法違反で起訴されて罰金刑としては最高刑を科せられており、解雇を相当と評価するに足る客観的事由が存在するところ、右解雇無効確認の訴えにおいては、原告らの行為は被告会社の社会的評価を若干低下せしめたことは否定できないが、前記懲戒規定にいう「会社の体面を汚したとき」に該当するとするには不十分であるとして本件解雇は無効とされたのであるが、右は程度の問題であつて微妙な判断を含んでおり、国鉄免職処分事件(昭和四九年二月二八日最高裁判所第一小法廷判決)やハガチー事件(昭和四四年四月一日東京高等裁判所仮処分判決)等企業外非行に関する同種事案においては免職処分ないし解雇が相当と判断されているという事情もあり、被告会社が原告らには解雇事由があると信ずるについては相当な理由があり、被告会社には原告主張の加害行為の違法性を認識すべき事情はなかつたというべきであつて、本件においては、過失も成立しない。

更に、前述の如く、労働契約の性質上、特約のない限り、労働者に就労請求権はないものと解されていて、被告会社もそのように信じていたのであり、この点から言つても、原告らを就労せしめなかつたことについて故意、過失は存しない。

6  同3(二)(損害)について

(一) 冒頭の主張のうち、本件解雇時及び復職当時の原告らの年令が原告ら主張のとおりであつたこと、原告らがこの期間職場で働くことができなかつたことは認め、その余は争う。

(二) (1)(i)(労働できないことの苦痛)について

(i) <1>は不知もしくは争う。

原告らは、「一七年間労働することができなかつたことは、それ自体が大きな苦しみであつた。」旨主張する。しかし、労働契約における労働は労働者の義務であつて権利ではない。したがつて使用者は労働者に対し労働せしめることにより、生甲斐または幸福感を与える義務を負担するものではない。原告らの主張は、被告会社が労働せしめる義務を負担することを前提とするもので、失当である。更に労働により生甲斐と幸福を感じるか、或いは逆に苦痛を感じるかは個人により著しく差があり、労働免除により他に生甲斐を見出すか、苦痛を感じるかにも差がある。以上二点から見ても原告らの主張は失当というべきである。

(ii) <2>について

<1> イ(原告坂田について)のうち、原告坂田がコークス工場(水江コークス係)化工職場に復帰したこと、右職場で同人の後輩が工長となつて現場を指揮していたことは認め、その余は不知もしくは争う。

なお、原告坂田は、同人をコークス工場に復帰させたことについて、職場の状況がすつかりかわつたとして問題視しているが、同人が右職場に復帰したのはこの間に種々の設備が休止し、同人の在籍していた職場もなくなつたため、新たな職場に復帰させる必要があつたからである。職場がかわればその設備環境もかわるのは当然である。特に復帰職場は仕事が同じであるばかりでなく、従前よりも簡素化されている。したがつて組合もこれを了承し、協定書を作成・調印し、同人自身も当時何ら反対していなかつたのであるから問題とされるいわれはない。

<2> ロ(原告高野について)のうち、原告高野が解雇通告を受けるまで約一〇年間製鋼工場で高熱・重筋の三交替勤務を行つていたこと、一七年ぶりに職場に復帰したことは認め、その余は不知又は争う。

原告高野は、腕力がなくなり、はさみで幅二センチ厚さ一ミリ程の鉄板を切れなくなつたと主張するが、右作業は単に鉄バンドを切断するものにすぎず、はさみを使える者なら誰しも可能であり、特に腕力を必要とするものではない。

<3> ハ(原告菅野について)のうち、上位職能区分への変更のための試験(資格上級試験ではない)を受けるには、一定の技術教育を修了する必要があること(技術何級という制度ではない)、原告菅野が社員一級技能員であること、昭和二六年当時の熱管理課の業務が、現在環境管理課の業務になつていることはそれぞれ認め、その余は不知もしくは争う。

なお、原告菅野は、役付を含め資格上級への道を完全に閉ざされていた旨主張するが、同人と同時期に入社した者でも同人と同じく社員一級である者が多数存在するとともに、これらの者と同じく今後努力し試験を受けて合格しさえすれば、職能区分も変更となり資格も上がることはもちろんであるから、右主張は何ら理由がない。

(三) (1)(ii)(職場を基礎とした活動の困難)については不知もしくは争う。

(四) (1)(iii)(家庭生活等での苦痛)について

(i) <1>(原告坂田)について

<1> イは不知。

<2> ロは不知。

<3> ハのうち、原告坂田が被告会社から社宅を引き払うよう申し渡されたことは認め、その余は不知もしくは争う。

(ii) <2>(原告高野)については不知もしくは争う。

(iii) <3>(原告菅野)について

<1> イのうち原告菅野が解雇された年の昭和三三年に鶴見に居住していたことは認め、その余は不知。

<2> ロのうち同人が昭和三六年結婚したことは認め、その余は不知もしくは争う。

(五) (1)(iv)(被解雇者の経済的不安)については不知もしくは争う。

原告らは、「賃金は保障されていたとはいえ、つねに経済的不安がつきまとつた。」と主張する。しかし、判決により解雇が有効とされる可能性のあることは司法制度上、三審制が保証されている以上当然のことであり、この不安は被告の責に帰すべきものではない。

(六) (1)(v)(子供の教育への影響)については不知もしくは争う。

三  抗弁(被告会社)

1  和解

本件は和解によつて解決している。

(一) 経過

(1) 昭和四九年三月一八日原告らは京浜労組事務所において、同組合に対し、砂川事件判決確定に伴う原告らの職場復帰と研修期間の確保、未払賃金の支払い、損害賠償と謝罪などを含む原告らの取扱いについて被告会社と交渉し解決することを依頼し、昭和四九年三月一九日同組合は執行委員会を開き、組合員たる原告らの取扱い並びに同組合の会社に対する損害賠償の請求などについて被告会社と交渉することを決定し、これをその後三月二八日までの間に原告らに通告した。

(2) 昭和四九年三月二九日、京浜労組は右依頼を受け、被告会社に左記の如き「雇傭契約存在確認請求の最高裁判決に伴う取扱いに関する申し入れ」(以下「本件申入書」という。)を提出した。

(i) 職場復帰上の取扱いについて

<1> 職場復帰については、京浜労組と協議して決めること。

<2> 復帰する職場については、原則として元籍とするが、具体的には協議の上決めること。

<3> 復帰にあたつては、身体検査を実施する他、技能並びに安全教育を実施した上で職場配置を行うこと。

(ii) 労働条件の取扱いについて

<1> 労働条件の設定にあたつては、本件解雇通告時以降引き続き就労していたと同様の取扱いを行うこと。

<2> 資格制度の適用にあたつては、前(i)の基本にのつとり適正な位置付けを協議して決めること。

<3> 年次有給休暇については、本件解雇通告時以降引き続き就労していたと同様の取扱いで付与すること。

<4> 永年勤続表彰については、協定・規定にしたがい遡及して行うこと。

<5> 職場復帰後、過去の経過を理由に差別取扱いを行わないこと。

(iii) 未払賃金等の取扱いについて

<1> 本件解雇通告時より仮処分判決までの期間における賃金・一時金・その他臨時に支払われる賃金・祝金等、一切の未払分については一括精算払いとすること。

<2> 仮処分判決後に支払われた賃金について、資格付与等で修正の必要が生じた場合は、それに対応する賃金について一括精算すること。

<3> 仮処分判決以降における暫定加給金・祝金・その他臨時に支払われた賃金等の未払分については一括精算払いとすること。

<4> 本件解雇通告時より仮処分判決までに至る間の社会保険料事業主負担分を一括して京浜労組に支払うこと。

<5> 賃金、その他の支払いの細部は協議して決めること。

(iv) その他の取扱いについて

<1> 本紛争の発生以来今日までに至る間、本人はもちろん、組合は物心両面にわたり多大の損害を被つたが、その償いを行うこと。

<2> 新聞・社内報・掲示板等に謝罪文を掲載すること。

<3> 本事件に関連して処分を受けた、奈倉・樋口・黒岩・島田・田中・立川の六氏の出勤停止七日の処分について撤回し、砂川事件にかかわる一切の問題を解決すること。

なお、右申入書の提出に際し、京浜労組より「右申入書は原告らの意見を十分聞いて作成されたものである。」旨の説明があつた。

(3) 右申入れに従い、同年七月一二日被告会社は京浜労組と最初の交渉を行つた。右交渉を進めるにあたり、被告会社は、同組合に対し、「交渉の窓口は、本件申入書が原告らの意見を聞いて作成されたということであり、また砂川問題は労使間の問題から出発しただけに組合があたるべきと思うが、労使交渉によつて得た結論は互いに遵守することを確認したい。」旨述べたところ、京浜労組は、「砂川事件は発生の当初より組合の議決機関において対策を決定し、以降組合として取り組んできているものであり、異論はない。窓口及び交渉は総て同組合が責任をもつて当る。もちろん原告本人達からも一切をまかされている。」旨明言した。そして交渉経過についてはその都度原告らに説明するとのことであつた。

(4) 交渉は同年八月六日、九月二六日、一〇月八日と行われたが、一〇月八日の交渉においても、謝罪、損害賠償、資格見直し、年休問題等については対立のまま経過した(その余の問題については、被告会社は同組合の要求をほぼ認めている)。

そこで京浜労組は、右一〇月八日の団体交渉の後、執行委員会を開催して、このまま団体交渉を続けていてもその進展はないとし、実質的な問題解決のためには三役交渉でつめるしかないとの判断に達し、右執行委員会の当日もしくは翌九日、原告ら三名を呼んで交渉の経過を説明し、三役交渉に移行することを伝えるとともに、今後、解決金による解決ということで対応をとつて行きたい旨述べて意見を求めると、特に原告坂田が三人を代表して、「是非その方向でやつてもらいたい。」と返答した。

なお、その際、同組合から「解決金の金額は、これをいつ被告会社に申し入れるかは別として、京浜労組の腹構えとしては一〇万、二〇万という金額では駄目で、一〇〇万以下の金額では了承しない積りである。」旨伝えたが、この金額については原告ら三人からは特に意見も出されなかつたので同組合としては原告ら三人が解決金の金額についても了解してくれたものと判断した。

(5) その後、同組合から被告会社に「交渉を速やかに進めるために、以後三役折衝で進めていきたい」旨の提案がなされ、被告会社もこれを了承した。そして、一一月一一日以降行われた三役折衝の中で謝罪損害賠償、資格見直し、年休問題等について交渉が行われ、更に同組合から「『損害賠償』とか『謝罪』ということが問題であるなら、『解決金』の支払いということで解決をはかることはできないか。」との提案がなされ、原告らもこれを了承しているとのことであつた。

そこで被告会社としても、早期に職場復帰を図つて円満にこの問題をまとめることについて同組合と同意見であつたので、「検討してみる」旨回答した。そして被告会社は、検討の結果、一二月二三日の最終の三役交渉において、「今までの謝罪とか償いとかその他の問題も含めて、今後、この問題について、それぞれ原告ら三人、あるいは同組合からも一切異議を言わないということを前提に支払う」旨回答した。

これに対し、同日同組合から「一人二〇〇万円を払つてくれ」との要求がなされたが、被告会社は「二〇〇万円という金額は出せない」旨回答した。

かくして、三役交渉においてある程度交渉も煮詰まり、年の瀬も押しせまつていたことから、組合から「とにかく年末までにはこの交渉を何とか成立にこぎつけたい、そしてこの三人の方を少なくとも来年の二月一日までには職場にとにかく復帰さしてあげたい。」、「そのためには被告会社の方も団体交渉で内容を煮詰めて、少なくとも二八日か二九日までには交渉に応じてほしい」旨の要請があり、被告会社としても「とにかく年内にこの問題について何とか合意をこぎつけた上で、職場復帰については早期に実現したい。」と考えていたので、「検討してみる。」と回答し、検討の結果、昭和四九年一二月二八日団体交渉を開催することとなつた。

(6) その間、同年一一月五日京浜労組は原告高野、同菅野に解決金で解決することを説明し、同人らはこれを了承し、また同年一一月二九日及び一二月一八日、同組合は原告らの代表である原告坂田に対し、二回にわたり解決金による交渉経過を説明し、原告らの代表である原告坂田もこれを了承していたが、昭和四九年一二月二四日、前述した同月二三日の三役交渉の経過を踏まえて、同組合を代表して新海副委員長が原告坂田、同菅野(同高野は風邪を理由に欠席)を組合事務所に呼び、両名に対し同組合の最終交渉にのぞむ態度として、「申し入れ以降一〇カ月にわたる交渉経過と、更に当事者からは既に『早期就労を図つて欲しい』との要請を受けてきているので、同組合として、来る一二月二八日から二九日にかけて、最後の努力を年内解決にむけて行う」ことを決意として述べ、更に次のような内容の要望をした。

「残された諸問題、その他関連する総ての問題を一挙に解決することから、既に、一応の組合としての腹がまえとして伝えてあつた一人一〇〇万円を最低の歯止めとし、解決金という名目のもとに勝ち獲つていく。そして、一二月二八日以降年末休日であつても交渉を開催し、少くとも五〇年二月一日には絶対に就労出来るように対処を図る。更に同組合としては、今迄述べて来た決意を含めての解決金の獲得要求は、これまでの砂川交渉の総ての集約であると判断しているだけに、もし獲得の成果があつた場合には、その配分も含め、かつ現状の組織の認識状況からして、当事者としても十分理解して欲しい」。

これに対し、原告坂田、同菅野は「取扱いについては了承をする。ただ金額について不満は残るけれども結論的には理解をしていきます。解決金の回答があつた場合、その配分については組合に一任する。」と述べ、更に同月二六日には改めて原告高野を含む原告ら三名がこれを了承した。

(7) 同月二八日、被告会社・京浜労組間で最終交渉が開催され、席上、被告会社が最終回答を行い、結局同日、後記協定書の内容通りの合意が成立した。

(8) 昭和五〇年一月六日頃、同組合は、同月一三日中央委員会を開催し、同委員会において、前記最終交渉の結論を確認する旨告示した。そして同月一三日開催の中央委員会においてこれを確認し、同月二〇日被告会社・京浜労組間で前記合意に基づき、左記の通りの協定書が締結された。

(i) 職場復帰について

<1> 元籍及び過去の職種等を勘案し、原告坂田については、コークス工場水江コークス係化工職場、原告高野については第一製鋼工場電気炉係第二電気炉職場、原告菅野については技術研究所分析研究室勤務とする。

<2> 職場復帰日は昭和五〇年二月一日とし、復帰日より就労するものとする。

(ii) 労働条件について

<1> 職場復帰時における資格、本給、資格給、職能給は、原告坂田についてはそれぞれ社員一級、八万〇、六〇〇円、三万三、四〇〇円、二万四、八八七円、原告高野についてはそれぞれ社員一級、七万八、六四〇円、三万三、四〇〇円、三万四、四一六円、原告菅野についてはそれぞれ社員二級、七万二、五一〇円、三万一、四〇〇円、二万二、五七四円とする。

<2> 職場復帰時における年次有給休暇保有日数は原告三名とも各々一〇日とする。

(iii) 永年勤続(勤続二〇年)表彰について

被告会社は、表彰規程を遡及適用し、原告三名に対しすみやかに表彰を行う。

(iv) 未払賃金等の清算について

被告会社は本件解雇時(昭和三三年二月二六日)より本協定締結日までの間の賃金・慰労金・その他臨時に支払われた賃金並びに社長褒賞金等のうち、未払分を原告三名に対し各々一括清算支給する(原告坂田については、計五二万〇、二四一円、原告高野については六六万七、〇三〇円、原告菅野については計五二万七、七七六円)。

(v) 社会保険料の清算について

被告会社は、本件解雇時より仮処分判決までの間において組合が支払つた原告三名にかかわる社会保険料事業主負担分八万一、四七七円を京浜労組に対し一括清算支払いをする。

(vi) 解決金の支払いについて

本件に関する諸問題をすべて解決するという観点から、被告会社は京浜労組に対し解決金として四〇〇万円を支払う。

(vii) その他

本協定締結に伴ない、本件解雇に関する諸問題はすべて解決したものとし、以後労使双方とも本協定を遵守し、如何なる形においても異議の申立又はその余の請求等は行わない。

(9) 昭和五〇年一月三一日被告会社は京浜労組に対し、解決金四〇〇万円を支払つた。

(10) 原告らは昭和五〇年一月三一日、原告高野が代表して京浜労組の新海副委員長に対し、「いろいろあつて組合に迷惑を掛けたが円満解決したい。被告会社からの賃金等未払金の支払いは出社日の二月三日に行われるので、京浜労組からの和解金の受払いの指定期日は二月五日であるが、できれば同年二月三日に一切の精算をしたいので、その手続きをして欲しい。」との連絡をなし、これに対し新海副委員長は、「皆さん方が円満解決するということであれば組合として何とかする。」と回答し、その後、小林委員長と連絡をとり、原告らの要請を受け入れて二月三日それぞれの受払い精算をするため、労働金庫等にその手続きを行つた。

(二) 和解の成立

(1) 委任による和解

(i) 委任

京浜労組の被告会社との前記1の交渉及び合意は、同組合が組合独自の問題あるいは組合に利害関係のある問題として、本人の立場において行うとともに、次のとおり原告らの委任(以下「本件委任」という。)に基づき、代理人の立場においても行つたものであり、その効果は原告らにも及んでいる。

イ 本件委任は包括的委任である。

原告らの京浜労組に対する前記(一)(1)の依頼は、「雇傭契約存在確認請求の最高裁判決に伴う取扱い」について被告会社と交渉し、解決することについての一切の包括的委任であり、したがつて解決金で解決することは本件委任の内容に含まれていると解すべきである。

ロ 仮に原告らの同組合に対する本件委任が包括的委任ではなく、個々の委任の複合したものとして、職場復帰、復帰後の処遇、損害賠償、謝罪要求などを委任したものであるとしても、解決金による解決も右委任の範囲内の行為である。即ち、

<1> 労使関係において、解決金は、損害賠償、謝罪と同一の性質を有するものとして取扱われていることはまぎれもない事実であつて、解決金による解決も損害賠償と謝罪の委任の内容に当然含まれている。

<2> あるいは、一般に、委任事務が、一定の事項に関し相手方と交渉し、双方の互譲により最終的合意に達し解決されることを内容とする場合には、委任者は受任者に対し大幅な裁量権を与えたものとみるべきであるところ、本件も原告らの取扱いに関し、種々の事項につき被告会社と交渉し解決することを委任したものであり、そのうち損害賠償、謝罪については交渉が暗礁に乗り上げ、これを打開するため損害賠償、謝罪に代え、解決金による解決を提案し解決するに至つたものであるから、右解決金による解決も受任者の裁量権の範囲内の行為である。

ハ 仮に、以上の主張が認められないとしても、前記(一)(4)、(6)のとおり、原告らは京浜労組に対し謝罪と損害賠償の請求については被告会社の解決金の支払いにより解決することについて了承しており、解決金による解決についても原告らは委任している。

(ii) 和解の成立時期

イ 京浜労組を本人とする交渉内容について被告会社との間で和解が成立するためには、交渉担当者の合意のみでは足りず、更に機関決定、協定書の締結を必要とするとしても、組合員個人の委任により、同組合を代理人としてなされる一身専属的事項の交渉における和解は、交渉担当者限りの合意をもつて成立するものというべく、本件和解も前記(一)(7)の昭和四九年一二月二八日の団体交渉における合意で成立している。

ロ 仮にそうでないとしても、本件和解は、右昭和四九年一二月二八日の団体交渉における合意で、機関決議で不承認とされることを解除条件として成立しているところ、右合意は昭和五〇年一月一三日の中央委員会で全面的に承認され、右解除条件の不成就が確定した。

ハ 仮にそうでないとしても、本件和解は、右合意で、機関決議で承認されることを停止条件として成立しているところ、右中央委員会における承認により右停止条件が成就した。

ニ 以上が認められないとしても、本件和解は、前記(8)の京浜労組内部の機関の確認、協定書の締結を経て成立した。

(2) 表見代理による和解

仮に前記委任の主張が容れられないとしても、原告らは京浜労組に対し損害賠償と謝罪要求を委任し、その交渉において同組合は被告会社に対し、損害賠償、謝罪に代わるものとして解決金による解決を提案し、これによつて解決するに至つたのであるから民法第一一〇条の表見代理の規定が適用されるべきである。

(3) 追認による和解

仮に以上の主張が認められないとしても、原告らは前記(一)(10)のとおり昭和五〇年一月三一日解決金による解決について追認している。

2  時効の援用

仮に原告らに慰藉料請求権並びに裁判費用に関する損害賠償請求権があるという万一の場合を考えても、原告らはその精神的苦痛並びに訴訟遂行に伴う損害をその時々において承知していたものというべきであるから、本訴提起時から起算して三年前の請求権にいずれも時効によつて消滅していることが明らかであるので被告会社は本訴においてこれを援用する。

四  抗弁に対する認否(原告ら)

1  抗弁1(和解)について

(一) (一)(経過)について

(1) (1)について

昭和四九年三月一八日原告らが京浜労組事務所に行つたことは認めるが、被告会社主張内容の依頼をしたことは否認する。同組合が執行委員会を開き、原告らの職場復帰とその取扱い、同組合の被告会社に対する損害賠償の請求などについて、被告会社と交渉することを決定したことは認めるが、執行委員会を開いた日は不知。同組合が、右決定を三月二八日までの間に原告らに通知したことは否認する。

原告らが、三月一八日京浜労組にいつたのは、三月一五日最高裁判所において、上告棄却の判決がなされ、原告らの解雇無効が確定したことを知らせ、同組合が原告らの職場復帰のため尽力するよう要望にいつたものである。

(2) (2)のうち京浜労組が昭和四九年三月二九日、被告会社主張どおりの内容の本件申入書を被告会社に提出したことは認め、右申入書の提出に際し、右申入書は原告らの意見を十分きいて作成されたものである旨の説明が同組合よりあつたとの主張は不知。

(3) (3)は不知。

(4) (4)のうち、交渉が昭和四九年八月六日、九月二六日、一〇月八日と行われたが、一〇月八日の交渉においても、謝罪、損害賠償、資格見直し、年休問題等については対立のまま経過した(その余の問題については、被告会社は京浜労組の要求をほぼ認めている。)ため、京浜労組は右一〇月八日の交渉の後、執行委員会を開催して、このまま団体交渉を続けていてもその進展はないとし、実質的な問題解決のためには三役交渉でつめるしかないとの判断に達したことは不知、その余は否認する。

なお、昭和四九年一〇月八日の団体交渉より相当期間経過後、同組合が原告らを組合事務所に呼び出し、被告会社回答の説明をして、「謝罪」「償い」「資格見直し」「年休」の問題が対立点として残つていること、同組合としては右の対立点について三役交渉でつめていきたい旨話し、原告らはこれを了承したが、その際にも、解決金による解決やその金額についての話はなされていない。

(5) (5)は不知。

(6) (6)のうち、昭和四九年一二月二四日京浜労組が、原告坂田と同菅野に対し、被告会社主張の内容を述べたことは認めるが、その余は否認する。同日、原告坂田、同菅野の両名は終始一貫して謝罪と償いをさせる交渉をするよう要請したものであつて、解決金だけという交渉を了解したことはない。

すなわち、右両名は「組合のこれまでの努力には感謝している。組合としての立場も理解できる。しかし他でたたかつている組合では解雇の不当性を認めさせ、謝罪や賠償をとつている。とくに先般の東芝の解決の仕方をみても謝罪をしないで解決金だけという解決には不満である。年休についても一〇日は是非とるよう交渉してほしい、賠償金については、原告らだけの問題でなく、組合も損害を蒙つているし、最終的に額の了解がついたばあいは、その配分については組合に一任していい。」等こもごも話したが、これに対し新海副委員長は京浜労組としては解決金で解決することを決めているから理解してほしいとくり返しのべ、結局双方対立したままであつた。このため原告坂田、同菅野の両名はこの話を原告高野に伝えるとのべて別れたのである。

また、同月二六日原告高野を含む原告ら三名が了承したとの主張についても、次のような経緯であつて、到底原告ら三名の了承があつたとすることはできない。

すなわち、原告高野は右二四日の話合いを聞き、翌一二月二五日、同組合の新海副委員長を訪ね、「解雇無効の最高裁判決がでたからには、被告会社に、組合及び原告らに対して謝罪の意思を表明させ、慰謝料を払わせるたたかいを労働組合として進めることが、組合活動の自由を守るうえからも、職場の組合員の権利を守るうえからも重要である。原告らの就労の問題と謝罪・慰謝料の問題とは区別し、原告らの就労を早く実現するとともに、謝罪・慰謝料などについては別個に交渉を継続してほしい。」と申入れた。しかしこれについて京浜労組は、原告高野の意見にまつたく耳をかさず、最終的には、「いずれにしても京浜労組としては来る一二月二八日から二九日の交渉は最終のものとし、その結論の上に立つて最終判断をして砂川事件にかかわる総ての労使間の問題は五〇年一月一三日の中央委員会で結着させる。」旨を原告高野にも通知した。このため原告高野は最後に不満である旨いい残し、意見対立のまま帰宅した。

そして、原告坂田は原告高野から前日の話合いの内容を聞いて、同組合が原告らの意見を無視して解決金で解決しようとしていることを知り、新海副委員長に電話して「三人で話合いをした。その結果京浜労組がこれまで会社に謝罪をするよう求めてきた努力は認める。また年休が原告らの要求により一〇日間とされたことなど諸対策事項について了解する。しかし謝罪については先日話したように再度主張してほしい。」と申し入れた。

このように原告高野は同月二四日に明確に反対の意思表明をしており、原告坂田の電話も右原告高野の発言と同じものであるから、これを原告らの了承とすることはできない。

(7) (7)は不知。

(8) (8)のうち、昭和五〇年一月二〇日被告会社と組合との間で協定書が締結されたことは認め、組合が同月一三日の中央委員会で最終交渉の結論を確認する旨告示したことおよび同日の中央委員会で確認したとの主張は否認する。同日の中央委員会は組合の意思決定をしたのであり単なる確認ではない。

(9) (9)は不知。

(10) (10)は否認する。

(二) (二)(和解の成立)について

(1) (1)(委任による和解)(i)(委任)の主張は争う。

京浜労組と被告会社との交渉は、同組合が組織として行つた組合独自の交渉であり、原告らの委任に基づくものではない。

即ち、労働組合は一人ひとりでは資本に対して弱い立場にある労働者が団結することにより、労働者の生活と権利を守ることを目的とする団体であり、その主たる任務は組合員の生活と権利を守り、向上させるところにある。そのために労働組合は、すべての組合員に一般的、一律に適用される賃金、労働時間、休日、休暇、休憩その他の労働条件や、労災補償、安全衛生、福利厚生など、あらゆる面で組合員の生活と権利を向上させるための交渉を行い、場合によつては争議行為を行い、協約を締結するのであるが、解雇や配転、賃金切下げ、労災補償等個々の組合員の労働条件についても、これを取り上げ、右のような活動をする場合がある。組合が右のように個々の組合員の労働条件を取り上げるのは、その個人の権利を守ることが、労働組合として組合員の権利拡大のため有益であり必要であると判断されるからであり、これも組合独自の目的と任務の下になされるのであつて、組合員の委任を受けてなされるものではない。

そして、組合員一般に適用される事項については、個々の組合員の中に反対する者があつても、機関としての意思決定を行い協約を締結した場合は、その効力はそれらの者にも及ぶ(基準的効力)のであるが、個々の組合員の労働条件については、合意の効力は、合意の当事者である会社と組合に及ぶ(債権的効力)のみで、当該組合員は必ずしもこれに拘束されるものではなく、当該組合員がこれに同意することにより初めて組合員と会社との間でも合意が成立することになる。

(2) 同(ii)(和解の成立時期)の主張も争う。

(i) イについて

労使交渉の合意は、組合の機関決定を経なければならず、交渉担当者の交渉ないし合意だけでは組合との合意が成立したことにはならないのである。仮に交渉担当者限りで合意を得たいのであれば、予め組合側の意思決定機関におけるその旨の明示的な意思や協約規定が必要である。

本件交渉においては、京浜労組は当初から機関決定で妥結を図つて行くことを決めていたのであり予め大会や中央委員会が交渉担当者に妥結権限を与えていた事実はない。機関決定によるとの方針は予め同組合が内外に表明しており、原告ら本人は、もとよりこれを当然として受けとめていたし、他方、被告会社もこのことを充分に了知したうえで同組合との交渉を進めたのである。

(ii) ロ、ハについて

右主張はいずれも組合の中央委員会の議決等の機関決定を単なる「条件」とみなすものである。

しかし中央委員会は大会に次ぐ組合の意思決定機関であるから、その議決を単なる条件とすることは無理である。他方、執行委員会ですら意思決定機関ではなく、単に執行の機関にすぎないのに、団体交渉担当者が組合の意思を決定しうるわけはない。したがつて被告会社の主張は意思決定の能力の本来ないところに意思決定を認め、本来の意思決定機関を単なる条件にみたてるもので、全く倒錯した議論といわざるをえない。また、それは結局のところ交渉担当者としての意思決定(合意形成能力)と組合機関決定による意思決定という、二つの意思決定を認める立場であり、組織体としての労働組合ではおよそありえない立論である。更に、交渉担当者に本来の組合機関の意思決定と離れて、特別に合意成立能力があるというのであれば、そのことが主張立証されなければならないが、本件では、かえつて、交渉担当者が交渉にあたり、結論は機関決定で得るといいつづけていたのであつて交渉担当者レベルでの意思の一致により、被告会社と京浜労組との間の合意が成立した、とするのは明らかな背理である。

五  再抗弁(原告ら)

京浜労組執行部は、昭和五〇年一月七日原告らを同組合事務所に呼び、本件解雇に関し明確に謝罪の意思を表示すること及び本件損害賠償の二要求については、被告会社の態度が固いので交渉継続を断念し、右要求に代るものとして、同組合に対する解決金の支払いにより解決したい旨意思表示し、原告らの承諾を求めたが、原告らは、その席で同組合に対し口頭で「右には同意できない。」旨意思表示する(他の事項については不満もあつたが同意した)とともに、翌八日、再度文書を組合に持参し、右二要求については、組合執行部の意向に反対し、右については独自に別途被告会社と争う旨、つまり、右二要求に関する委任を解除する旨通知し、これについての代理権も消滅した。

六  再抗弁に対する認否(被告会社)

不知。

原告らは京浜労組に本件委任をなすにあたり、原告らの「取扱い」について被告会社と交渉し解決することについて包括的に一任したのであり、しかも「取扱い」という以上、その内容は賃金に関する事項、資格に関する事項、有給休暇に関する事項、謝罪及び損害賠償に関する事項等と多岐にわたるのであつて、これらの各事項はそれぞれ相互に関連し合つて最終的解決に至るものである。

しからば、それぞれの事項は交渉事項として一体不可分の関係にあるのであるから、そのうち大部分の事項については認めるが、ある事項について認めないというように、それぞれを取り出してその事項についての委任のみは解除するなど不可能である。

なお、この理は、たとえ本件委任が包括的なものでなくそれぞれ数個の事項についてそれぞれ数個の委任があつたとみられるとしても、それぞれの事項は前述したような不可分の関係にあるのであるから、同様である。

したがつて、原告らから謝罪及び損害賠償の件について解除の意思表示があつたとしても何らの効力をも有しない。

七  再々抗弁(被告会社)

1  京浜労組が原告らの取扱いに関し被告会社と交渉するについて原告らの委任を受けるに当つては、同組合としては、その構成員たる組合員の労働条件その他の取扱いがどうなるかについては、当然に関心をもたざるを得ないとともに、同組合は、原告らに対し、前記のとおり犠牲者救援規定により解雇期間中金銭を貸し付け、その取立は、被告会社との交渉の結果如何にかかわるなどから、その委任につき利益を有していたことは明らかである。

このように委任事務の処理が委任者の利益であるとともに受任者の利益でもある場合については、委任者は一方的に委任を解除しえないと解すべきであり、原告らの同組合に対する委任の解除は何ら効力を有しない。

2  仮に、本件委任が同組合にとつても利益である場合に該当しないとしても、原告らが本件委任をなすにあたり、その一切を同組合に委ねる旨言明し、かつ労働組合と組合員という特殊の団体関係における委任という性格からして、解除権の放棄について黙示の特約があつたというべきである。

仮にそうでないとしても、昭和四九年一二月二四日同組合は原告らに対し、最終交渉に臨む方針として、来る一二月二八日から二九日にかけて年内解決にむけて最後の努力を行うとともに、解決金という名目の下に一人一〇〇万円を最低の歯どめとして獲得すべきことを呈示し、更にこれを獲得した場合の配分その他については同組合に一任されるべきことの了承を求めたのに対し、原告坂田、同菅野はその場でこれに同意し、この線で交渉を進めることを了承し、また同月二六日には改めて原告高野を含む原告ら三名がこれを了承したのであるから、少くともその時点において解除権の放棄について黙示の特約があつたというべきである。

したがつて、原告らの同組合に対する前記解除は右特約に反し無効といわねばならない。

3  仮に以上が認められないとしても、前記のとおり、本件委任事項は、交渉事項としてそれぞれ相互に関連し合つて一体不可分の関係にある。

そのうえ、前記のとおり、昭和四九年三月以来、同組合は原告らの委任に基づき、原告らの取扱いに関し被告会社と交渉を続けてきたものであり、また昭和四九年一二月二四日には最終交渉に臨む方針として原告らに対し、一二月二八日から二九日にかけて年内解決にむけて最後の努力を行うこと、解決金という名目の下に一人一〇〇万円を最低の歯どめとして獲得すべきこと、これを獲得した場合の配分その他については組合に一任されるべきことの了承を求めたのに対し、原告坂田、同菅野はこれを了解し、また同月二六日には改めて原告高野を含む原告ら三名がこれを了承したのである。

しかして同組合は右了承の下に同月二八日被告会社と最終交渉を行なつた結果、合意に達したのである。

しかも、前述したように昭和五〇年一月六日頃には、同組合は同月一三日中央委員会を開催し、同委員会において右合意に達した最終交渉の結論を確認する旨告示し、組合としてもあとはただその機関確認、協定書の締結を残すのみであつたのである。

しからば、その後、原告らが同組合に対し、仮に委任を解除したとしても、その解除は信義則に反しあるいは権利の濫用として無効と解すべきである。

八  再々抗弁に対する認否(原告ら)

1  再々抗弁1は争う。

委任を一方的に解除し得ない場合とは、例えば債権担保のため、取立の目的で委任をするとき、あるいは有償報酬の約束があるときなど、委任者から一方的に委任を解除されると、受任者が損害を被ることの免れ得ないような地位にあるときに限つて問題となるにすぎない。

本件の場合、被告会社主張の、救援規定による貸付金員の取立が、その交渉の結果如何にかかわるが如き事態は全くなかつたし、ましてや京浜労組による交渉は、債権担保・取立のためではなかつた。構成員たる組合員のために労働条件等の協議を尽す、という労働組合本来の職責によるものである。

更に原告らは、昭和五〇年二月五日に同組合に対し右貸付金合計金三八〇万円余を返済した。原告らは同組合と被告会社との解決金の授受とは関係なしに、これを行つたので、この経過もまた被告会社主張が失当であることを証明する。

2  同2も争う。

被告会社は、労働組合と組合員という特殊の団体関係における委任という性格上不解除特約があるというが、労働組合と組合員の場合でもそれが「委任」関係で結ばれれば、民法の一般原則である解除の自由を排除しなければならないという特別の事情はない。

また、被告会社は、「原告坂田、同菅野は昭和四九年一二月二四日に、同高野は同二六日に解決金による解決を了承していた。」と主張し、このことを以て解除権の放棄とするが、右了承は前述のとおり全く事実に反する。また仮に「了承」があるとしてもそれが解除権を放棄したことにはただちにつながらない。このような立論はいつたん委任をしてしまうとそれ自体で解除権を放棄したとみなす、ということにかわりなく、それでは民法六五一条を含む民法の委任の諸規定に明白に反することになり、到底採り得ない。

3  同3も争う。

被告会社は、本件委任事項はその性質上不可分一体の関係にあるというが、原告らが委任を解除した、損害賠償、謝罪要求項目は、職場復帰、労働条件及び未払賃金等の各取扱いについての要求項目が解雇無効確認の判決確定により当然生じてくる要請であるのに対し、判決確定それ自体をもつてただちに組合側がかちとれる要求ではなく、交渉の努力を通じてかちとるべき性格のものであり、それ以外の要求とは本来的に異なり、交渉にあげられた性格も他と切り離して考えられていたのである。また、被告会社は、ながい交渉期間と、解決金による解決を了承している事実からして本件解除は無効であると主張するが、右交渉が真摯な団体交渉であつたかについては極めて疑問であり、期間の長短を原告らに不利益に結びつけるほど重視することはできない。むしろ交渉内容に即していえば、原告らの希望や意向に明白に沿わない交渉が重ねられてきたのが実際であつた。

特に原告らにとつては本件解雇の不当さはもちろんのこと、これに加えて被告会社が敗訴の都度争い続け、結局一七年間にわたり抗争し続けてきたことに対する償いと謝罪こそどうしてもかちとるべき要求であつたところ、それ以外の項目がすべて組合が当初から採りあげ交渉する予定であつたのに対し、右賠償及び謝罪は原告らの申出がなければ組合として採りあげられなかつたものであり、それだけに、この項目での成否こそ、原告らにとつて委任の目的がよく実現されたかどうかの指標というべきである。そして、まさにこの点において組合交渉団は会社から譲歩を引きだすことができないばかりか、逆に原告らの意に反して「解決金による解決」という最悪の選択をしてしまつたのである。そのことを理由として原告らが「委任」契約を解除したとしても何ら不当ではないし、権利濫用あるいは信義則違反として非難されるいわれは全くないのである。

したがつて権利濫用ないし信義則違反をいう論もまた理由がなく、結局解除権の行使・効力を認めない被告会社の主張はいずれも排斥されるべきである。

第三証拠<省略>

理由

一  当事者

被告会社は、肩書地に本店を置き、川崎市及び横浜市に京浜製鉄所、福山市に福山製鉄所、その他にも製鉄所、造船所を設け、国内各地及び海外に営業所を有し、現在従業員約四万二〇〇〇名、資本金一四六一億円余をもつて、鉄鋼、船舶、肥料等の製造販売を営む会社であること、原告坂田は昭和二四年六月一四日、同高野は昭和二三年八月一七日、同菅野は昭和二六年四月二日、それぞれ被告会社に工員として雇われ、本件解雇当時川崎製鉄所(現京浜製鉄所)に勤務していた者であることは当事者間に争いがない。

二  本件解雇に関する経緯

原告らは、昭和三二年七月八日原告らの所属する川鉄労組の他の組合員らと共に在日アメリカ合衆国空軍の使用する東京都北多摩郡砂川町所在の立川飛行場の拡張に反対するいわゆる砂川闘争に参加したが、右反対行動の際、右飛行場北側の立入禁止区域に四ないし五メートル立ち入つたとして同年九月二二日他二〇名と共に逮捕され、同年一〇月二日他四名と共に刑特法第二条違反として起訴され、右事件につき第一審の東京地方裁判所は安保条約に基づくアメリカ軍の駐留を違憲として原告らを無罪としたが、その後最高裁判所は右判決を破棄差戻し、結局原告らは有罪とされ、罰金二〇〇〇円に処せられたこと、被告会社は、昭和三三年二月二六日原告らの行為が被告会社の体面を汚すもので、被告会社と川鉄労組との労働協約及び被告会社の就業規則の懲戒規定に該当するとして本件解雇(原告坂田及び同高野を懲戒解雇、同菅野を諭旨解雇)をしたこと、原告らは右解雇は無効であるとして東京地方裁判所に地位保全の仮処分申請を行い、昭和三五年七月二九日原告高野及び同菅野については申請を認容し、同坂田については保全の必要性がないとして申請を却下する仮処分第一審判決がなされ、これに対して被告会社と原告坂田とが各控訴し、昭和三九年三月二七日原告高野及び同菅野について被告会社の控訴を棄却し、原告坂田について原判決を取消し申請を認容する判決がなされたこと、被告会社は、右控訴審判決後起訴命令の申立をし、原告らは同年七月二〇日東京地方裁判所に雇用契約存在確認の訴を提起し、右本案につき昭和四二年一〇月一三日東京地方裁判所で原告らの被告会社に対する雇用契約に基づく権利の存在を確認する旨の判決(昭和三九年(ワ)第六七五二号判決)、がなされ、昭和四五年七月一八日東京高等裁判所で控訴棄却(昭和四二年(ネ)第二三五〇号)、昭和四九年三月一五日最高裁判所第三小法廷で上告棄却(昭和四五年(オ)第九八二号)の各判決がなされ、右本案第一審判決が確定したこと、右判決確定後、京浜労組と被告会社との交渉を経て、昭和五〇年二月原告らは職場に復帰したこと、以上は当事者間に争いがない。なお、証人新海利正の証言によれば、昭和四五年六月被告会社の川崎製鉄所、鶴見製鉄所及び水江製鉄所が統合されたことに伴い、川崎製鉄所にあつた川鉄労組が他の二製鉄所にそれぞれあつた労働組合と統合されて京浜労組となつたものであることが認められる。

三  抗弁について

原告らは、不法行為に基づく損害賠償を求めるのに対し、被告会社は抗弁として、右不法行為に基づく損害賠償請求権は和解により消滅した旨主張しているので、不法行為の成否はともかくとして先ず右抗弁について判断する。

1  本件和解に関しては、次のような経緯が認められる。

(一)  いずれも成立に争いのない甲第一五号証及び第三〇ないし第三二号証、いずれも原本の存在及び成立に争いのない甲第二〇号証の一、二及び乙第一一号証、原告坂田本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一七号証の一、二、証人新海利正の証言により真正に成立したものと認められる同第二〇号証の三、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第五二号証、証人新海利正の証言並びに原告坂田及び同高野各本人尋問の結果によれば、以下の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 原告ら川鉄労組組合員の砂川闘争への参加は、同組合が、上部団体である日本労働組合総評議会、日本鉄鋼産業労働組合連合会の指示により、組合の取り組む平和運動の一環として、原告ら組合員に指令したものであつたところ、被告会社が昭和三三年一月一八日川鉄労組に対し、砂川事件に関し原告ら三名を解雇し、他の組合員六名を出勤停止七日間とする処分を行う旨を通告してきたため、同組合は右処分を正当な組合活動に対する弾圧であるとして、組織をあげてこれに対抗する方針を固め、同月二三日被告会社に対し右処分の撤回を申し入れ、経営協議会、団体交渉等で交渉を重ねたが、同年二月二四日交渉は決裂し、結局同月二六日右処分は実施された。

そこで、川鉄労組は、前記上部団体等に支授を依頼し、また、集会等で前記処分の不当性を訴える等して右処分に対する反対運動を展開するとともに、原告らの解雇につきいわゆる法廷闘争を行う方針を固め、右方針の下に前記のとおり仮処分申請をなした原告らに対し、組合活動に伴い犠牲を蒙つた組合員等に適用される同組合の犠牲者救援規程に基づき、賃金相当額及び裁判に要する費用一切の補償を実施した。

なお、原告坂田に対する賃金相当額の補償については、昭和三八年八月まで同人は組合専従の執行委員をしており、組合専従の執行委員については、元来会社からは一時金のみが支給され、その余の賃金分は組合から支給されることとなつていたため、右時点までは一時金分のみの補償が実施され、同年九月以降賃金相当額全額の補償が実施された。

(2) 川鉄労組は、昭和三五年七月二九日の仮処分第一審判決後、同組合の申入れにより開催された同年八月六日、同月二二日及び同年九月二〇日の三回にわたる経営協議会において、原告らの地位の回復、原告高野及び同菅野の未払賃金の一括払、前記組合員六名についての出勤停止処分の撤回等を求めて被告会社と交渉を重ねた。その結果、原告高野及び同菅野の右判決以降の賃金の支給、右判決までの賃金の二分の一の一括払い及びこれらに付随する事項が取り決められるに至つたが、その余の問題については双方主張対立のまま終つた。また、昭和三九年三月二七日の仮処分控訴審判決後、川鉄労組は、右残された問題に原告坂田の未払賃金の支払の要求を加えて、再び経営協議会で被告会社と交渉したが、前同様、原告坂田の右判決以降の賃金の支払、右判決までの賃金(前記のとおり、原告坂田が執行委員であつた間、川鉄労組が負担すべき部分を除く。)の二分の一の一括払及びこれらに付随する事項が取り決められるに至つたが、その余の問題については依然双方主張対立のまま終つた(以下これらの交渉を「従前の交渉」という。)。

そして、右の各取り決めに基づき、原告らの賃金の支給が再開され、また未払賃金の二分の一が支払われたことに伴い、原告らに対する犠牲者救援規程に基づく賃金相当額の補償は終了し、また、原告らに支払われた右未払賃金の二分の一は、原告らより川鉄労組に交付され、同組合の犠牲者救援資金に組み入れられた。

(3) ところで、従来、前記犠牲者救援規程は、被解雇者に対する補償について、解雇が争われている間の打切りの規定は設けていなかつたが、昭和三六年五月一九日の同規程の改定(なお、その名称も犠牲者救援規定と改められた。)により、解雇が争われている場合でも、原則として五年が経過し、組合決議機関が打切りを決定したとき等一定の場合には打切られることとなつた。そして、昭和四二年九月一三日の組合大会において、原告らに対する右補償を本案第一審判決が出た時点で打ち切ることが決議され、同年一〇月一三日右判決がなされて川鉄労組による原告らの裁判費用の補償が打ち切られ(前記のとおり、賃金相当額の支給は既に終了していた。)その後の訴訟は、原告らが同組合から金員の貸付けを受けるなどして資金を作り、進められたが、同規定が補償打切りの際当人の退職金相当額に五〇万円を加算して支給すると定める打切り補償金については、右判決が原告らの勝訴判決であつたため支給が留保されていたところ、原告らの求めにより、昭和四五年に至り、原告らの勝訴判決の確定等によつて就業規則及び退職金支給規定の適用上原告らが被告会社より退職金の支給を受けるにつき障害がなくなつた場合には、打切り補償金額から五〇万円を控除した退職金相当額分を川鉄労組に返済することとする等の清算条件が付されたうえで支給された。

(二)  昭和四九年三月一八日原告らが京浜労組事務所を訪れたことは当事者間に争いがなく、証人新海利正の証言及び原告坂田本人尋問の結果によれば、原告らは同月一五日本案上告審判決で勝訴したことの報告と礼のため同事務所を訪れたのであるが、その際、同事務所には小林勇同組合執行委員長及び丹野昌助副委員長と他に執行委員一名がおり、原告坂田が、右小林委員長らに、右報告と礼を述べた後、今後のことについての話し合いとなり、原告坂田は、この時の同組合の執行委員には、前記職場復帰等をめぐる交渉が川鉄労組と被告会社の間でなされていた当時の同組合の執行委員が残つておらず、右交渉の詳細を知るものがいなかつたことから、右交渉の経過を説明したうえ、要求を整理して、組合として会社と交渉し、決着をつけて欲しい旨申入れ、職場復帰や未払賃金の支払い等の交渉すべき内容を説明し、更に、今まで長い間物心両面にわたつて多大な被害を豪つたので、償いや謝罪の要求も入れてほしい旨申入れたこと(以下、これらの申入れを原告坂田の申入れという。)が認められ、右認定に反する原告高野本人尋問の結果は措信し難い。

その後、京浜労組が執行委員会を開き、原告らの職場復帰とその取扱い、同組合の被告会社に対する損害賠償請求等について被告会社と交渉することを決定したこと、同組合が、昭和四九年三月二九日、被告会社主張(事実欄第二((当事者の主張))三((抗弁))1((和解))(一)((経過))(2))どおりの内容の本件申入書を被告会社に提出したことは当事者間に争いがなく、前記乙第一一号証、いずれも原本の存在及び成立に争いのない同第一三号証の二の一ないし三、成立に争いのない同第五〇号証並びに証人新海利正及び同石原道央の各証言によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 本件申入書は、従来の経過や原告らの意向を勘案の上作成されたものであるが、京浜労組は、右申入書案を昭和四九年三月二〇日ころ開催された右執行委員会に提出してその承認を得、その後更に、執行委員会の諮問機関である支部長会議、組合大会休会中の組合最高決議機関である中央委員会の各承認を経るとともに、右申入書案により被告会社と交渉する旨原告らに通知したうえ、同月二九日経営協議会の席を団体交渉に切り替えて右申入書を被告会社に提出し、その際、京浜労組は、原告らから交渉の窓口を依頼され、本人達の意見も入れて要望事項をまとめ、右申入書を作成したとの説明を行つた。

(2) これに対して、被告会社から、慎重に検討して会社の見解を示したいので、若干時間はかかるが、交渉には応ずる旨の回答があり、同年七月一二日から右申入書についての団体交渉が開始されたが、冒頭、被告会社より、京浜労組が原告らに交渉の窓口を委されていること、本件申入書の要求事項は原告らの意見を十分に取り入れたものであること、右要求事項についての交渉は、専ら同組合との間だけで行うこととし、その交渉でまとまつた事項については互いに遵守することの確認が求められ、同組合は右確認をしたうえ、組合が一切の責任を負う旨明言した。

そして、同年一〇月八日まで、四回にわたつて要求事項についての交渉が重ねられた結果、職場復帰上の取扱い(本件申入書(i))及び未払賃金の取扱い(同(iii))等については概ね京浜労組の要求を容れることで、また前記出勤停止者六名の処分撤回(同(iv)<3>)については同組合が要求を断念することで、交渉担当者間での一致点が見出された。しかしながら、賃金、資格等について、原告らが解雇以降引き続き就労していたものとみなして適正な見直しをせよとの要求(同(ii)<1>、<2>)に対し、被告会社は、既に制度に則つて修正してきており改めて見直しをする必要はないとし、年次有給休暇について、前同様にみなして、最低昭和四九年度分二〇日間を全日付与せよとの要求(同(ii)<3>)に対しては、二〇日間付与するものとするが、同年度の始期である同年四月から就労までに経過している期間の分は月割りにして右二〇日間より控除するとし、また、原告ら及び組合の蒙つた物心両面にわたる損害の賠償(同(iv)<1>)並びに謝罪文の掲載(同(iv)<2>)の要求に対しては、解雇に値する程著しくはなかつたにしろ、原告らが犯罪を犯し、被告会社に悪影響を及ぼしたことは事実であり、出勤停止等の懲戒処分には十分価いするのであるから、損害賠償や謝罪をする必要はないと主張し、双方対立したまま平行線をたどり、交渉は膠着状態となつた。

(3) そこで、前記一〇月八日の団体交渉の後、同日中に京浜労組執行委員会は、実質的、弾力的な話し合いを行つて交渉を進展させ、原告らの早期就労の実現をはかるため、交渉を三役交渉に移行させるとともに、償い、謝罪との名目には拘泥せず、解決金として金員の支払を要求し、年次有給休暇等他の残された問題についても、不十分な点が残れば、右解決金に含めて解決することとし、なお右解決金の額は一人一〇〇万円を最低限とするとの方針を決めた。

そして、京浜労組は、解決金による解決の提案は留保したまま、被告会社に三役交渉への移行を申し入れ、月二回程の割で三役交渉を重ねたが、話し合いは依然平行線をたどつたため、同年一一月一一日の三役交渉に至り、京浜労組は前記提案を行つた。これに対し、被告会社は、次の一二月二三日の三役交渉において、解決金の支払いにより、償い、謝罪を含めて一切の問題を解決することとし、今後原告ら及び京浜労組がこれらの問題につき異議を述べないならば、解決金の支払に応ずる旨回答した。そこで、京浜労組は右解決金の額として一人二〇〇万円を提案したが、被告会社がこれを拒否したため、遅くとも同月二八日か二九日に団体交渉を開き、最終的な結論を出したいので、被告会社としても努力してほしい旨要望して三役交渉を終えた。

(4) 各要望に基づき、同月二八日、被告会社からは皆川労務部長、石原労務課長、井手労務係長、村田係員及び大野係員が、京浜労組からは小林委員長、新海副委員長、原次長及び車田執行委員が出席のうえ、団体交渉が開催され、被告会社より、原告坂田はコークス工場水江コークス係、同高野は第一製鋼工場電気炉係、同菅野は技術研究所分析研究室に職場復帰し、原告らには昭和四九年度分として一〇日間の年次有給休暇を付与することとし、本件に関する諸問題を一切解決し、今後本件に関し一切異議の申し立て等を行わないことを前提に、解決金として四〇〇万円を京浜労組に対し支払うこととする旨の最終回答があり、京浜労組の団体交渉担当者は右回答を受諾し、更に、既に了解に達している事項につき相互に確認を行い、団体交渉を終了した。

(5) そして、以上の交渉により得られた結論は京浜労組において、昭和五〇年一月八日の執行委員会、同月一〇日の支部長会議の議を経て、同月一三日中央委員会に提出されて承認され、同月二〇日、同組合と被告会社との間で被告会社主張(事実欄第二((当事者の主張))三((抗弁))1((和解))(一)((経過))(8))どおりの内容の協定書並びに右協定を補完する事項を内容とする覚書及び議事録抜萃確認書が取り交された。

2  委任及び代理権の授与について

先ず、原告らは京浜労組に対し、前記原告坂田の申入れにより、職場復帰、復帰後の処遇、損害賠償、謝罪要求などについて被告会社と交渉し、解決することを委任し、その範囲で代理権を授与したとの被告会社の主張から検討する。

(一)  右申入れの内容は、右申入れ自体からは必ずしも明確ではないものの、その経過に照らせば、要するに、従前の交渉で未解決のまま残された問題、即ち、原告らの職場復帰、原告らに対する未払賃金の支払い及び前記組合員六名に対する出勤停止処分の撤回と、これに加えて、本件解雇をめぐる紛争により原告らが蒙つた物心両面にわたる損害に対する賠償及び謝罪(以下「本件賠償及び謝罪」という。)の各要求(以下これらの要求を一括して「本件要求」という。)について、被告会社と交渉し、解決をつけること(以下本2項の(一)項ないし(五)項においては、右交渉と解決を併せて、単に「交渉」という。)を申入れるものであると解される。

(二)  そして、右本件要求は、いずれも原告ら又は右組合員六名各個人の被告会社に対する地位ないし権利に関する要求であるところ、原告らは、労働組合が個々の組合員の労働条件を取り上げるのは、その個人の権利を守ることが、労働組合として組合員の権利拡大のため有益であり、必要であると判断されるからであり、組合独自の目的と任務の下になされるのであつて、組合員の委任を受けてなされるものではないと主張する。しかしながら、労働組合は、集団的労働関係における問題の処理を主たる活動とするものではあるが、組合員の経済的地位の向上をはかるというその目的からすれば、組合員個人の地位ないし権利の維持、改善について後見的役割を果たすこともその機能とするものと見るべきであり、組合員の委任を受けて当該組合員の使用者に対する地位ないし権利に関する要求について使用者と交渉することも、労働組合本来の活動ということができる。

したがつて、労働組合が個々の組合員の使用者に対する地位ないし権利に関する要求についてなす使用者との交渉には、後記のとおり労働組合独自の目的と任務としてなす場合もあれば、組合員の委任を受けた事務としてなす場合もあり得るというべきであつて、原告らの主張のように、このような交渉は、常に、組合独自の目的と任務の下にのみなされるものであつて、組合員の委任を受けてなされるものではないとする理由はない。

(三)  ところで、組合員個人の使用者に対する地位ないし権利に関する要求について使用者と交渉することが本来当該組合員個人の事務に属することはいうまでもない。他方、労働組合は、組合員各個人に属する権利の管理処分権を有するものではなく、右交渉は当然には労働組合の事務に属するものではないが、組合員に対する使用者の処遇が労働組合の有する団結権等の権利に対する侵害となるような場合には、右交渉は、労働組合に対する権利侵害の回復手段ともなり得るものであつて、この面においては、労働組合自身の権利に関する問題として、労働組合の事務たる性質をも備え得るものである。

そして、委任において受任者に委託される事務は、受任者以外の者(委任者または第三者)の事務であることを要するものであるから、前記認定の組合に対する原告坂田の本件要求についての交渉の申入れが、組合員個人の事務を組合に委任する趣旨であつたものと認められるか、組合としての事務の処理を促がす趣旨にすぎなかつたかが問題となる。

そこで、右原告坂田の申入れについて更に検討する。

(i) 先ず、本件要求のうち、職場復帰及び未払賃金の支払の各要求についての交渉は、原告ら組合員個人の事務であり得ることはいうまでもないが、当該組合員の解雇前の地位を回復することによつて組合に対する権利侵害を回復する手段となり得るもので、京浜労組の事務でもあり得るものである。

そして、右各要求は、前記のとおり、従前の交渉で未解決のまま残されていた問題であり、前記1(一)(1)(2)の経過からすれば、従前の交渉は、同組合に対する権利侵害を回復する目的でなされたものと言える。

しかしながら、従前の交渉は、仮処分各判決により原告らの被告会社に対する雇用契約上の権利を有する地位が仮に定められたものの、本件解雇の効力は未だ争われている状況の下でなされたものであり、その交渉の中心は原告らが職場復帰すること、原告らに過去及び将来の賃金が支払われること自体にあつたのに対し、原告坂田の申入れの段階では、既に、本案上告審判決によつて本件解雇の努力は確定的に失われ、被告会社が原告らの職場復帰及び原告らに対する未払賃金の支払自体を拒否することは困難な状況にあり、右各要求をするについての問題の中心は職場復帰の条件や未払賃金の額等の具体的内容を定めることに移行し、団結権侵害に関わる面が著しく後退して原告らの個人的権利に関わる面が枢要部分を占めるに至つている。

また、右申入れのなされた段階においては、既に、本件解雇から約一七年が経過し、原告らに対する前記犠牲者救援規程の適用も昭和四一年一〇月一三日本案第一審判決がなされた時点をもつて打ち切られており、また京浜労組の執行委員の中には従前の交渉の詳細を知る者さえいなかつたことなどからすれば、同組合が本件解雇により現に団結権が侵害されているとして、再び右侵害の回復に積極的に取り組むことを期待するのは困難な状況にあり、同組合が自己の事務として右各要求の交渉を行うとしても、それは、前記1(二)(1)(2)の川鉄労組の方針の残務処理としてなされるにすぎないことは明らかである。

したがつて、右各要求についての被告会社との交渉を原告坂田が京浜労組に申入れるのは、同組合自身の権利に対する侵害の回復を促す趣旨が含まれているとしても、専らその趣旨であるということはできず、その主眼は原告ら自身の権利に関する問題の解決を依頼することにあるものというべく、原告ら個人に属する事務の処理を申入れるものであるということができる。

なお、前記1(一)の経過からすれば、原告らに支払われる未払賃金や賠償金は、京浜労組に交付されて犠牲者救援資金に組み入れられることが予想されるものであり、この点において同組合の利害に関わるものといえるが、委任事務の処理が何人の利益に帰するかということは、直ちに、その事務の帰属者を定める要素となるものではなく、右の点は右結論を左右するものではない。

(ii) 次に、本件要求のうち、本件賠償及び謝罪の要求についての交渉については、前記のとおり、組合員の解雇が労働組合の権利に対する侵害となる場合があるにしても、その解雇により当該組合員個人に生じた損害に対する賠償や謝罪がなされることは、労働組合に生じた右権利侵害の回復となり得るものではなく、右要求についての被告会社との交渉は京浜労組の事務とはなり得ない。

したがつて、右各要求についての交渉の申入れは、原告ら個人に属する事務の処理を申入れるものであるということができる。

(iii) 最後に、本件要求のうち前記組合員六名の出勤停止処分の撤回の要求についての被告会社との交渉は、前記(i)と同様京浜労組の事務であり得るものである。

そして、右要求は前記組合員六名の権利に関する問題であり、委任は第三者の事務の処理を目的とする場合にも成立するとは言え、前記(一)の経過からして、原告坂田の申入れが右六名各個人の権利の回復の問題の解決を同組合に依頼したものとは考え難く、この点については同組合に属する事務の処理を促したものと考えるべきである。

以上を総合すれば、前記原告坂田の申入れは、単に組合としての事務の処理を促す趣旨ではなく、原告らの職場復帰、原告らに対する未払賃金の支払い並びに本件賠償及び謝罪につき、被告会社と交渉すること(以下「本件委任事項」という。)についての委任の申込みを含むものであるということができる。

(四)  なお、被告会社は、本件委任の範囲につき、主位的主張として、本案上告審判決に伴う原告らの取扱い一切であると主張するが、原告坂田の申入れは前記(一)に述べたとおり特定し得るものであつて、右主張のように包括的なものであると解することはできないし、また、右のように特定し得るものであつても、なお委任の目的となり得る統一的な労務と言えるものであるから、被告会社の右主張は採用できない。

(五)  そして、前記1(一)の経緯及び原告坂田の申入れの経緯からすれば、右申入れは原告ら三名の京浜労組に対する委任の申込みを原告坂田が代表して行つたものと見ることができる。また、右申込みに対する同組合の承諾は、組合の意思決定を前提とするところ、組合の意思決定の機関については後記4に述べるとおりの問題があるが、いずれにしても、同組合は本件申入書につき執行委員会、支部長会議及び中央委員会の各承認を得ており、右承諾の意思決定は有効になされているものというべきである。そして、京浜労組は右申入書により被告会社と交渉する旨を原告らに通知しているのであるから、原告らと同組合間に本件委任が成立したものということができる。

(六)  更に、本件委任事項は、原告らと被告会社間の法律関係上の問題の処理を委託するものであり、しかも、右問題について解決をつけることまで含まれている(前記のとおり、前(五)項までは交渉、解決を併せて交渉と呼んだが、ここでは、解決を特に区別して考える。)ことからすれば、前記原告坂田の申入れは、右委任の範囲内における代理権の授与を含むものと解すべきである。

3  京浜労組と被告会社の合意について

次に、京浜労組と被告会社の前記1(二)(4)あるいは(5)の合意(以下「本件合意」という。なお、その成立時期については後に検討する。)について、被告会社主張のとおり、同組合が組合独自の問題あるいは組合の利害関係のある問題として、本人の立場において行うとともに原告らの受任者として、代理人の立場においても行つたものといえるかにつき検討する。

(一)  先ず、前記1(二)(1)以降の交渉及び本件合意の性質につき考えるに、京浜労組は、本件申入書を作成のうえ、執行委員会、支部長会議及び中央委員会の承認を経てこれを被告会社に提出し、これに基づき右交渉を行つているのであるが、右申入書は、原告らの職場復帰、原告らに対する未払賃金の支払い並びに本件賠償及び謝罪に関する各要求の他、前記組合員六名の出勤停止処分の撤回並びに本件解雇をめぐる紛争により京浜労組が蒙つた損害(川鉄労組の損害を承継したものを含む。)に対する賠償及び謝罪の各要求を申入れるものである。右各要求のうち後二者は同組合自身の事務として申入れる要求であるといわざるを得ず、また、原告らの職場復帰及び原告らに対する未払賃金の支払いの各要求も前記のとおり川鉄労組が組合自身に対する権利侵害の回復として行つてきた従前の交渉で未解決のまま残された問題であつて、同組合を吸収した京浜労組の事務であり得るものであるところ、これが後二者を含む本件申入書に一括して要求されているのであるから、同組合はこれを自己の事務として行うものと解され、本件交渉は、これらの要求に関する部分において同組合自身の事務としてなされたものということができる。

しかしながら、同一の行為が一面において行為者自身の事務処理としてなされるとともに、他面において委任事務の処理としてなされることを否定する理由はなく、本件申入書の各要求のうち前三者が本件委任事項に対応するものである以上、右交渉も、前三者に関する部分においては、京浜労組が受任者の立場で行つたものということができる。

そして、本件合意は、右交渉により得られた結果を合意するものであるから、右同様に考えられる。

(二)  ところで、本件合意は、本件委任事項に即して原告らの職場復帰及び原告らに対する未払賃金の支払いに関する事項を取り決める他、本件賠償及び謝罪に代えて、被告会社が京浜労組に対し、解決金として四〇〇万円を支払う旨約するものであるが、右解決も、次に述べるとおり、本件委任の範囲に属するものといえる。

即ち、委任は、一定の統一的な労務を目的とする契約であり、受任者は、その目的に従つて事務を合理的に処理する裁量権を有するものであるところ、一定の要求について相手方と交渉し、解決をつけることが委任の目的とされる場合、その事務は当然に相手方との互譲を予定するものであるから、委任者の意思が特にその要求自体の実現を前提として、その条件についての交渉、解決のみを委託する趣旨でない限り、右要求に代る他の合理的方法による解決も右委任の範囲に含まれるものと解すべきである。

そして、本件委任の意思表示は、本件委任事項自体の実現を前提とし、その条件についての交渉、解決のみを委託する旨明示するものではないものの、原告らの職場復帰及び原告らに対する未払賃金の支払いについては、前記のとおり、本件委任当時被告会社はこれを拒否し難い状況にあり、右交渉の主眼は復帰後の労働条件や未払賃金の範囲等その実現条件にあるものというべきであるから、原告らの意思は右条件についての交渉、解決のみを委託する趣旨であると解されるが、これに対し、本件賠償及び謝罪については、これが本件解雇が無効であることにより当然に生ずべきものではなく、右解雇ないし右解雇に関する被告会社の裁判上の抗争が不法行為となることを前提とする要求であるところ、前記二の経過からして被告会社が右前提を認める可能性は薄く、容易に実現の望める要求とは言えず、前記明示のない以上、右要求自体の実現を前提とし、その条件のみの交渉、解決を委託する趣旨と解することはできない。

したがつて、本件賠償及び謝罪については、京浜労組は他の合理的方法により解決する裁量権を有するものと解すべきところ、解決金とは、一定の紛争が解決される場合に、解決がなされること自体を原因として当事者の一方から他方に給付される金員であり、これが、争点となる要求の実現に代えて、右要求の前提たる原因とは別個の中立的原因に基づき給付される金員であることにより、紛争の調整的機能を果たすものであつて、損害賠償や謝罪に代る合理的解決手段となり得るものである。

また、本件解決金が京浜労組に対して支払われるものとされている点についても、証人新海利正及び同石原道央の各証言によれば、これが同組合に支払われることとされたのは、同組合が、終始本件交渉の窓口となり、被告会社に対し、交渉の最終結論について責任を負う旨約していたためであり、右解決金は、同組合と原告らの間で分配されるものとして支払われるものであつたことが認められ、右認定に反する証拠はなく、右解決方法も、原告らと被告会社間の紛争解決手段となり得るものであつて、本件委任の範囲に属するものといえる。

(三)  更に、本件合意が原告らを代理する行為としてなされたものであるかの点につき検討するに、京浜労組は本件申入書を被告会社に提出するに際し、原告らから交渉の窓口を依頼され、本人達の意見も入れて要望事項をまとめ、本件申入書を作成した旨説明し、更に、右交渉の冒頭、被告会社の求めにより右の点を再確認していることと、本件合意の内容を併せれば、前記京浜労組が受任者の立場で行つた部分の合意については、原告らのためにする旨の表示があつたものということができ、原告らを代理するものとしてなされた合意であるということができる。

なお、前記解決金を京浜労組に対して支払う旨の合意も、このような効果を原告らと被告会社の間で発生させること(同組合を受益者とする第三者のためにする契約となる。)を妨げる理由はなく、代理形式によつてもなし得るものである。

(四)  以上を総合すれば、本件合意は、京浜労組が自己の事務として行うとともに受任者の立場でも行つたものであり、右受任者の立場で行つた部分については原告らを代理して行つたものであり、右部分に関する限り、本件委任及び代理権の範囲に属するものということができる。

4  本件和解の成立時期について

(一)  被告会社は、労働組合が本人の立場でする交渉について、使用者との間で合意が成立するためには、団体交渉担当者の合意のみでは足りず、更に機関決定、協定書の締結を必要とするとしても、組合員個人の委任に基づき、労働組合が代理人の立場でする一身専属的事項の交渉における和解は、交渉担当者限りの合意をもつて成立するのであり、本件和解も、前記1(二)(4)の昭和四九年一二月二八日の団体交渉における合意で成立していると主張する。

しかしながら、団体交渉の担当者とは、団体交渉における労使間の話し合いを現実に担当する者というにすぎず、その地位自体から当然に妥結権が認められるものではない。

ただ、本件においては、右昭和四九年一二月二八日の団体交渉には小林委員長及び新海副委員長が交渉担当者として出席しており、右の者の機関としての権限から妥結権が認められるのではないかが問題となる。

(二)  ところで、組合規約は、労働組合の根本規範たる性質を有するものであるが、成立に争いのない甲第四〇号証によれば、京浜労組組合規約は、同組合の機関について、組合大会を最高決議機関、中央委員会を組合大会休会中の最高決議機関、執行委員会を最高執行機関とし、組合大会の附議事項は組合意思の議決を要する全ての事項とするが、<1>運動方針及び予算、決算、<2>資産の処分、<3>組合規約の改正、<4>組合の解散、<5>統制処分による組合員の除名、<6>弾劾による組合員の罷免、<7>他団体への加盟または脱退の各事項は必ず組合大会に附議すべきものとし、また、中央委員会の附議事項は組合大会の附議事項と同様とするが、右<1>ないし<7>の各事項については、中央委員会で決議しても、組合大会の承認を得なければ効力を生じないものとし、執行委員会は、組合大会及び中央委員会の議決事項を執行するが、右業務執行のため書記局を設け、執行業務を担当させるものとし、執行委員長は組合を代表し、組合業務を統轄し、副執行委員長は執行委員長を補佐し、執行委員長に事故あるときはその職務を代行するものとしていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  右に見たとおり、右組合規約の規定する組合大会の専決事項は右<1>ないし<7>の各事項であるが、労働組合の運営には民主性が強く要請されることからすれば、右各事項以外にも、その組織や活動の基本に関わる事項は、組合大会の専決事項と解すべきである。そして、右組合規約は、右<1>ないし<7>の専決事項については、中央委員会で決議することもできるが、その決議は組合大会の承認を得なければ効力を生じない旨規定するのであるが、右は中央委員会の中間決議機関たる性質に基づく規定であり、他の専決事項についても同様と解すべきである。

他方、右組合規約が定める意思決定機関は組合大会及び中央委員会のみであり、その附議事項は組合意思の議決を要する全ての事項とされるが、あらゆる意思決定を組合大会または中央委員会で行うことは実際上不可能に近く、右組合規約が組合大会及び中央委員会を最高決議機関であるとして、他の決議機関も予定しているものと解せることからしても、個々の業務処理上の意思決定は執行委員会が行うことが可能というべきであり、更に、日常業務の処理についての意思決定は、執行委員会と言えども会議体であるから、常にその決議を要するとすることは相当でなく、執行委員長または書記局において行うこともできるというべきである。

そして、以上のいずれにも属さない事項は、組合大会または中央委員会の附議事項であるが、前記組合大会の専決事項とは異なり中央委員会の決議がなされれば、組合大会の承認を得なくとも決議の効力が生ずる事項と解すべきこととなる。

(四)  そこで、本件合意についての意思決定につき考えるに、先ず、前記1(二)の交渉及び本件合意は、前記3(一)のとおり、原告らの職場復帰、原告らに対する未払賃金の支払い並びに本件賠償及び謝罪に関する部分において、本件委任に基づくものである面を有するものである。

そして、前記のとおり、労働組合は組合員個人の地位ないし権利の維持、改善について後見的役割を果たす機能を有するものと見るべきであるから、組合員からの委任を受けて当該組合員の使用者に対する地位ないし権利に関する要求について使用者と交渉し、解決することは労働組合に本来的に認められる業務というべきであり、その処理についての意思決定は、京浜労組においては、一般には、執行委員会の決議によりなし得ることとなる。

しかしながら、本件委任に基づく要求は、前記同組合の事務としての要求と一括して本件申入書に組み込まれ、機関決議を経て被告会社に申入れられているのであり、しかも、前記のとおり、原告らの職場復帰及び原告らに対する未払賃金の支払いの各要求は、原告らの委任に基づく要求たる面と同組合自身の事務としての要求たる面を併有するものであるし、また、本件賠償及び謝罪の要求については、同組合に対する賠償及び謝罪の要求と一括して、同組合に対する解決金の支払いにより解決されているのであるから、本件合意における意思決定については、本件委任に基づく面と同組合自身の事務としての面は一体のものとなつているといわざるを得ず、その意思決定が右各側面ごとに別個の機関によりなし得ると解することはできない。

そして、右交渉及び合意は、同組合自身の事務たる面においては、前記のとおり残務処理としてではあるが、前記1(一)(1)(2)の川鉄労組の方針の最終的な決着を意味するものであり、前記専決事項の範囲には属さないものの、単なる業務処理という以上のものであつて、執行委員長の権限を超えることは勿論、執行委員会の権限も超えるものであつて少なくとも中央委員会の決議による意思決定を要するものというべきである。

(五)  そうすると、本件合意の成立については、中央委員会の意思決定を経ることが必要であり、結局、前記1(二)(4)の昭和四九年一二月二八日の団体交渉における交渉担当者の合意は、本件合意の準備の最終段階というにすぎず、右合意の成立は、前記1(二)(5)の昭和五〇年一月二〇日の協定書等の取り交し時であるといわざるを得ない。

四  再抗弁について

本件賠償及び謝罪についての交渉、解決は、委任事項としては他の本件委任事項と別個に処理し得るものであり、その部分のみの委任を解除することも可能である。そして、前記のとおり、本件合意の成立は昭和五〇年一月二〇日であるところ、原告坂田及び同高野各本人尋問の結果により原本の存在及び成立の認められる甲第一二号証、証人新海利正の証言並びに右各本人尋問の結果によれば、同月八日、原告らは、原告ら名義の「直ちに職場復帰することは希望するが、本件賠償及び謝罪に代えて解決金により解決する点には不満があるので、解決金の受領は断り、本件賠償及び謝罪については現段階では解決を留保し、今後京浜労組には迷惑をかけず、別途解決をはかる。」旨の「職場復帰にともなう留保条件についての申入れ」と題する書面を同組合事務所に持参したことが認められ、右認定に反する証拠はなく、右は本件委任事項のうち本件賠償及び謝罪の要求について被告会社と交渉し、解決する部分につき解除する旨の意思表示であると解される。

五  再々抗弁について

右解除が信義則に反するとの被告会社の主張につき検討する。

1  前記三1(二)(2)ないし(4)の事実と、前記乙第一一号証、原本の存在及び成立に争いのない同第一二号証、いずれも証人新海利正の証言により真正に成立したものと認められる同第五一号証の一ないし五、同証人の証言並びに原告坂田及び同高野各本人尋問の結果(後二者については後記措信し難い部分を除く。)を併せれば、次の事実が認められ、右認定に反する原告坂田及び同高野各本人尋問の結果はいずれも措信し難く、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

即ち、京浜労組は、昭和四九年七月三〇日、原告らに対し、前記同月一二日の団体交渉の経過を説明したうえ、今後同組合が一切責任を持つて交渉を進めて行くことにつき念を押したが、原告らは「是非そのように進めて欲しい。」旨返答するとともに、「以降の交渉の経過も、可能な限り伝えて欲しい。」旨要望した。そこで同組合は、原告らが組合事務所に立ち寄つた際に話したり、電話連絡をするなどしてその後の経過も折りに触れて伝えていたのであるが、前記のとおり同年一〇月八日までの団体交渉が本件賠償及び謝罪等の点で平行線をたどり、膠着状態に陥入つたことから、同日執行委員会が、交渉を三役交渉に移行させるとともに、代案として解決金の支払いを要求することにより解決をはかる方針を決めた後、日を置かずして、同組合は、原告らを組合事務所に呼び、右方針を伝え、なお、「右解決金の額としては、一〇〇万円以上を考えている。」旨話したところ、原告坂田において「是非その方向で努力して欲しい。」旨述べ、解決金の額については原告らいずれも特に意見を述べなかつたが、同月一八日、原告高野が、同月七日ころ締結された東芝における臨時工解雇問題についての会社側が謝罪し、一〇名の労働者に六五八〇万円を支払う内容の協定書を参考のためとして組合事務所に持参した。また、前記のとおり、同年一二月二三日の三役交渉において、解決金の支払いにより本件賠償及び謝罪を含めて一切の問題を解決することが了解に達し、京浜労組は同月二八日か二九日に団体交渉を開き最終的な結論を出したい旨要望したのであるが、同組合は右同月二三日中に右三役交渉の結果を執行委員会で確認したうえ、原告らに翌二四日組合事務所に来るよう電話で連絡した。翌二四日は、原告高野が風邪のため、同坂田及び同菅野のみが組合事務所に来たが、同組合は、右原告両名に対し、右団体交渉の経過を伝えたうえ、「翌昭和五〇年二月一日の就労をはかるため、年内に団体交渉の最終的結論を出すよう、昭和四九年一二月二八日から年末にかけて最後の努力を払う。」旨や「和解金の額としては、同組合と原告ら各一〇〇万円を最低の歯止めと考えている。」旨、「解決金の分配については四等分と考えているが、組合に一任して欲しい。」旨などを話し、これに対し、右原告両名は、「同組合の今後に向ける態度については、結論として理解していく、解決金の額については不満が残る、解決金の分配については一任する。」などの旨を回答し、原告高野については、「同坂田の方から理解を求める。」旨告げた。

ところが、翌二五日、原告高野が組合事務所を訪れ、「原告坂田及び同菅野から京浜労組の考え方を聞いたが、被告会社が謝罪しない限り不満であるし、また解決金の額も不満であり、今一度原告ら三名の意見をまとめるので、同月二八日ないし二九日の予定の団体交渉での最終結論は延ばして欲しい。」旨申し入れて来た。これに対し、同組合は、前日の原告坂田及び同菅野の回答と従来の経過からして、右申入れは受け容れられないとして物別れに終つたが、翌二六日、同坂田から組合事務所に電話があり、「同日原告ら三名で相談した結果、必ずしも意見は一致しないが、同組合の努力は評価し、結論的には同組合の態度や考え方については理解する。」旨伝えてきた。そして、前記のとおり、同月二八日、団体交渉の最終結論が出されたのであるが、翌昭和五〇年一月七日、同組合は、組合事務所において、原告らに団体交渉の経過を伝え、右最終結論を文章化して被告会社の確認を経た事項を説明し「これをもつて同組合の最終判断をして行きたい。」旨告げたところ、原告らは、「職場復帰が実現することは大きな成果として評価するが、謝罪がなされない点は不満であるので、本件賠償及び謝罪の点は他と切り離し、留保してもらいたい。」旨表明し、翌八日前記解除の意思表示を行つたものである。

2  右の経過によれば、本件賠償及び謝罪に代えて解決金による解決をはかる方針については、原告坂田及び同菅野は積極的に反対するものではなく、ただ、その額については一〇〇万円以上という程度では不満が残り、昭和四九年一二月二四日、団体交渉の最終段階に臨んで、京浜労組から右方針の下に最終結論を出す旨告げられた際にも、右不満のみ表明していたのに対し、原告高野においては、解決金の額のみならず、謝罪がなされないこと自体に不満があり、同年一〇月一八日前記東芝の臨時工解雇問題の協定例を組合事務所に参考として持参した他、同年一二月二五日には、同組合に対し、右方針に反対の意を明確にし、右最終結論の留保を申入れたのであるが、原告ら三名としては、未だこの段階では、意見が一致しておらず、その後に至つて漸く、右解決金による解決を拒否することで意見がまとまり、翌昭和五〇年一月七日その旨を同組合に表明し、翌八日に前記解除に及んだものと認められる。

しかしながら、前記三1(二)(1)ないし(4)の経過に見たとおり、被告会社は、原告らの意を受けた京浜労組の説明や確認に基づき、同組合を唯一の窓口として交渉を重ね、同組合の提案を受けて、右交渉における一切の問題を解決することを条件に本件解決金の支払いに応ずることとしたものであること、前記のとおり、委任の解除としては、本件委任のうち、本件賠償及び謝罪の要求についての交渉、解決の部分のみ解除することも可能といわざるを得ないが、本件解決金の支払いは、右要求と京浜労組に対する賠償及び謝罪の要求を一括して解決するものであるところ、右解除はこれを全て無効とする(被告会社と原告らの間では無権代理であるが、被告会社と京浜労組の間では錯誤無効。)ものであること、原告らの前記解除は、本件合意のうち、職場復帰や未払賃金の支払い等の成果は享有する一方、不満な部分のみを排除するものであること、また、右解除は、右に見たような原告らの内部事情のみから、団体交渉での了解は既に見て、機関決定のみを残す段階に至つてなされたものであることなどに鑑れば、原告らが被告会社に対し右解除の効果を主張し得るとすることは著しく公平を失し、信義則に照らし、右主張はなし得ないものと言わざるを得ない。

六  結論

以上のとおりであるから、本件不法行為に基づく原告らの損害賠償請求権は既に和解により消滅したものというべきであり、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 龍前三郎 小田原満知子 川添利賢)

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